おやぢの部屋2
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MOZART/Requiem
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Simone Kermes(Sop), Stéphanie Houtzeel(Alt)
Markus Brutscher(Ten), Arnoud Richard(Bas)
Teodor Currentzis/
The New Siberian Singers
MusicAeterna
ALPHA/ALPHA 178




2010年の2月に録音されたという最新のモーツァルトの「レクイエム」です。使っている楽譜はジュスマイヤー版ですが、おそらく指揮者の裁量なのでしょう、1ヶ所楽譜にはないことをやっています。その詳細は後ほど。最良のアイディアですよ。
その「指揮者」は、1973年生まれのギリシャ人、テオドール・クレンツィスです。昨年このレーベルからリリースされたショスタコーヴィチの交響曲第14番がえらい評判だったそうで、とうとう某「レコードアカデミー賞」なんかを取ってしまいましたね。彼の現在のポストは、シベリアの都市ノヴォシビルスクの国立歌劇場の指揮者、ここで演奏している合唱団もオーケストラも、母体はこの歌劇場の専属の団体です。ちょっと不思議なのは、ショスタコでは普通にモダン楽器を演奏していたはずなのに、ここではピリオド楽器を使っていることです。音色も奏法もピッチも間違いなくピリオド、彼らはどちらの楽器も弾ける人たちなのでしょうか。
しかし、そんな楽器やらピッチやらの問題はなんとも些細なことに感じられるほど、彼らが作り出したモーツァルトの世界は衝撃的なものでした。つまり、今まで様々な「変わった」演奏を聴いてきて、そんなものに対する免疫は充分に出来ていたにもかかわらず、ここには思わず耳をそばだてずにはいられないほどの「ヘンな」表現が満載だったのです。そして、これが重要なことなのですが、その「ヘンな」ものは、確かな説得力を持って迫って来ているのですよ。誰とは言いませんが、過去にはただ人を驚かせたいだけのために奇抜なアイディアをこれ見よがしに盛り込んだ人がいましたね。しかし今回のクレンツィスはそんな輩とは別物、だから、彼が作り出す刺激的なフレーズは、しっかり心の中に突き刺さり、言いようのない感情の揺らぎを引き起こすのです。こんな現象のことを、もしかしたら「感動」と呼ぶのかもしれませんね。
曲の中で見られるのが、各パートの見事なまでのキャラクターの使い分けです。金管とティンパニは「荒々しさ」をことさら強調して、ただならぬ不安感を誘います。それを慰めるのが、バセット・ホルンを中心にした木管セクション。その穏やかさは、真の「癒し」を伴うものでした。弦楽器は幅広くそれぞれの曲に合わせた表現を行っています。バックでリズムを刻む時さえも、豊かな表情がつけられていますし、表に出て主役を張る時には、圧倒的な迫力を見せてくれます。「Dies irae」などではまるでバルトーク・ピチカートのような「ノイズ」まで出しての熱演です。
ソリストたちも、それぞれ個性を主張しながら、アンサンブルでは見事に溶け合うという「賢さ」を見せています。ただ、これだけほかのパートが強い主張を持った中では、ソプラノの人だけがあまりにも弱々しく感じられてしまいます。それでも、アンサンブルになった時のトレブルとしての透明感は素敵です。
そして、合唱のなんと雄弁なことでしょう。それは、囁くようなピアニシモから、力強いフォルテシモまで、恐ろしいまでに変幻自在の表情を見せてくれます。さらに、同じフレーズの繰り返しで前と同じことをやるのだな、と思っていると、見事に裏をかいて予想外のさらに素晴らしい表現を披露してくれるのですからね。「Lacrimosa」は、そんな意味で完璧な演奏と言えるのではないでしょうか。そして、そのあとがサプライズです。最後のアコードが終わらないうちに「カラカラ」という鈴の音が鳴り始めたと思ったら、それをバックにモーンダー版やドゥルース版、そしてレヴィン版で取り入れられている「アーメン・フーガ」が、とてつもなく透き通った声で響いてきました。そこには、モーツァルトが残した部分でスッパリ終わった後で、さっきの鈴の音がしばらく鳴り続くという粋な演出も加わります。
こんなに素晴らしい演奏が、「レコード芸術」の「特選盤」だなんて、許せません(笑)。

CD Artwork © Alpha Productions
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by jurassic_oyaji | 2011-05-29 22:23 | 合唱 | Comments(0)