おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
Stories
c0039487_19394744.jpg



Paul Hillier/
Theatre of Voices
HARMONIA MUNDI/HMU 807527(hybrid SACD)




ルチアーノ・ベリオの「A Ronne」とキャシー・バーベリアンの「Stripsody」を最初と最後に持つという、なかなか刺激的なアルバムが出ました。1970年代のポップ・カルチャーの残渣が、21世紀の現代でも通用するのかという期待と不安が高まります。
そんな心配はよそに、この、もろポップ・アート風のジャケットには、なにかヒリアーたちの開き直りのようなものさえ感じてしまいます。カートゥーンっぽく処理された写真はもちろんバーベリアンの横顔ですし、ジャケットやブックレットの中にまで増殖しているフォントや「吹き出し」は、まさにカートゥーンそのものなのですからね。つまり、ここにはそんな「マンガ」の世界のような、「言葉」を素材にした6人の「作曲家」の楽しい音楽(と言えるかどうか)が満載、というわけですね。
これらの作曲家は、この中の最古参、ジョン・ケージから、それぞれ何らかの影響を受けている、という共通項によって集められています。ですから、そのケージの作品「Story」はアルバム・タイトルにも用いられています。1940年に作られたこの曲は、驚くべきことに、「今」でも充分に通用するほどの「新しさ」を持っていました。ソロ・ヴォーカリストがリズミカルに繰り返すあまり意味のないテキスト、そのまわりで打楽器の模倣を行うコーラス、それらがしっかりビートに乗って繰り出したものは、まさに「ヒップ・ホップ」ではありませんか。「ラップ」や「ボイパ」を、すでに70年前にケージは予見していたのですね(啓示、だったのでしょうか)。
1976年に「スウィングル2」が録音していた「A Ronne」ですが、それは実は改訂稿であったことを初めて知らされました。元々は1974年に合唱ではなく、5人の俳優のために作られたものだったのだそうです。それを、8人用のバージョンにしたのが、スウィングル版なのですね。ここではオリジナルの5人バージョンが演奏されています。でも、聴き比べてみると、作品のベースは全く変わっておらず、単に人数によって声部が増減しているだけのような気がします。言葉だけでなく、「ゲップ」とか「嘔吐」といった、人前で披露するのはかなり勇気の要るような様々な「音」と、なんの脈絡もなくパラレルで演奏されるきれいにハモったマドリガルとの対比が、シュールな味わいを醸し出すという趣向なのでしょう。
Stripsody」は、「Strip」と「Rhapsody」を組み合わせた造語だったはずです。でも、別に裸の女性が登場するわけではなく、「ストリップ」というのは「マンガ」のことです。「アメコミ」ですね。マンガの中に登場する擬態語を延々と並べ立てるという、ある意味超絶技巧を伴う作品です。バーベリアン自身のライブ録音では「1人」で演奏していましたが、ここではなんと「3人」で「歌って」います。掛け合いになったり、同じフレーズを途中で別の人に交代したりと、楽しさが「3倍」になっているはずです。演奏時間は確かに「3倍」になっていました。
指揮者だと思っていたヒリアーは、ジャクソン・マク・ロウという人の「Young Turtle Asymmetries」では、多重録音で5人分の「語り」に挑戦、シェルドン・フランクという、作曲家ではなくライターの「作品」では、1人で渋い喉を披露してくれています。
この中で唯一ご存命の作曲家、1949年生まれのロジャー・マーシュの「Not A Soul But Ourselves」は、すでに「アヴァン・ギャルド」とは呼べないような、あくまで言葉を立てたスマートな作風です。特徴的なフレーズが何度も繰り返されるあたりが、親しみやすさを招いています。エンディング近くにもろスティーヴ・ライヒの引用が出てくるのも、そんな時代(1977年の作品)の名残でしょうか。
結局、ケージ以外の作品には、作られた当時のシーンを思い起こすという効能こそふんだんに感じられましたが、それをあえて「今」演奏する意味は、かなり希薄でした。やはりケージは「20世紀最大の作曲家」なのでしょう。

SACD Artwork © Harmonia Mundi USA
[PR]
by jurassic_oyaji | 2011-06-06 19:41 | 現代音楽 | Comments(0)