おやぢの部屋2
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Beyond All Mortal Dreams/American A Cappella
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Stephen Layton/
The Choir of Trinity College, Cambridge
HYPERION/CDA67832




「全ての滅びゆく夢を超えて」というタイトルは、ここで歌われている曲の中にはありません。レイトン自身がアルバム・コンセプトとして提案したのでしょうか。確かに、このフレーズはジャケットを飾る聖ミカエルの像とともに、アルバム全体を包む神々しさを的確に表現しています。
アメリカの作曲家によるア・カペラ曲のアンソロジー、残念ながらここに登場する8人の作曲家の名前と作品は、全て初めて耳にするものばかりでした。しかし、それらはなんとも懐かしい思いを醸し出してくれるものばかりだったのには、軽い衝撃を与えられてしまいます。それがレイトンの趣味というフィルターを通った結果である点は差し引いたとしても、全ての曲が、なんとも無防備な心の深いところまで入り込んできて、確かな共感をもぎ取っていくものだったのですから。
そんな、似たようなテイストを持つ作品を産んだのが、生年に1世紀近くの隔たりをもつ作曲家たちだったという事実に、まず驚かされます。最も年長の(いや、すでに物故者ですが)ヒーリー・ウィランが1880年生まれなのに対して、最年少のオラ・イェイロは1978年生まれなのですからね。
ウィランの次の世代がこれも物故者である1920年生まれのエドウィン・フィッシンガー、それからは1950年前後生まれの「塊」が5人も続きます。1949年のスティーヴン・ポーラスとスティーヴン・スタッキー、1950年のフランク・フェルコとウィリアム・ホーレイ、そして1953年のルネ・クラウセンです。そして、次の世代のイェイロとなるわけですね。
これらの作曲家たちは、その1世紀の間に起こった作曲技法の変遷などには全くかかわらないフリをしながら、ひたすら「美しい」合唱曲を作り続けました。それもそのはず、そもそも時代的な先達とも言えるウィランが目指したものはそんなチマチマとした技法の遠く及ばないルネサンス時代の音楽だったのですからね。しかも、そのあとを継いだスタッキーの曲はトーマス・タリス、フェルコに至ってはヒルデガルト・フォン・ビンゲンへのオマージュなのですから。そこには、無調も、12音も、そしてクラスターや偶然性も入り込む余地はなかったのでしょう。ここでは、見事に溶け合った三和音の世界が、レイトンとケンブリッジ・トリニティカレッジ聖歌隊という、彼のもう一つのパートナー「ポリフォニー」よりは穏健さを旨とするペアによって、輝かしいばかりに広がります。
もちろん、個々には多少の「冒険」が見られることもあるでしょう。フィッシンガーの「Lux
aeterna」では、グレゴリアン・チャントの呼びかけに対して、元の音を伸ばしながら4度上昇、3度下降という音型を繰り返して、結果的にクラスターを産み出すという「斬新な」アイディアが披露されています。しかし、これはあくまでも「ツカミ」の効果をねらっただけのもので、そのあとはごく平穏なハーモニーが現れてくるだけ、リゲティの同じタイトルの曲で使われているクラスターとは、似て非なるものです。
スタッキーも、「タリス」の2曲目「O sacrum convivium」ではオスティナートで同じパターンを繰り返すという「新しい」技法を使っていますが、逆にそれは他の部分の「懐かしさ」を際立てるという効果しか生んではいません(この繰り返しがなぜか「お盛ん、カメレオン」と聴こえてしょうがありません)。
そんな「中間世代」の悪あがきを横目で見ながら、「新世代」のイェイロはなんのためらいもなく「美しい音楽」を極めようとしています。「Sanctus」と、テキストは「Agnus Dei」である「Phoenix」は、そんな信念がストレートに現れた感動的な作品、そして演奏です。
そんな煌めきにあふれた秀曲たち、これがSACDであったなら、よりナチュラルな響きと息づかいが味わえたことでしょう。

CD Artwork © Hyperion Records Ltd
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by jurassic_oyaji | 2011-07-30 21:42 | 合唱 | Comments(0)