おやぢの部屋2
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LENDVAY/ Requiem
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László Jekl(Bas), Ingrid Kertesi(Sop)
László Tihanyi, László Kovács/
MR Symphony Orchestra & Choir
HUNGAROTON/HCD 32574




このレーベルのSACDはどうなってしまったのでしょう。今回のCDは、カミルロー・レンドヴァイという、1928年生まれのハンガリーの現役作曲家の2曲の宗教曲を集めたアルバムです。ハンガリー人ですから、正確にはレンドヴァイ・カミルローでしょうか。そんなことを言ったら、このクレジットで「ラースロー」という全く同じ「ファースト・ネーム」をもつバス歌手と2人の指揮者も、それぞれ「イェクル・ラースロー」、「ティハニー・ラースロー」、「コヴァーチュ・ラースロー」と表記しなければいけません。
オーケストラもちょっと耳慣れない名前ですが、「MR」というのは医療ドラマのタイトル(それは「ER」)や、そこに登場する核磁気共鳴診察機器(それは「MRI」)とは全く関係のない、「マジャール・ラジオ」の略号です。かつて「ハンガリー放送交響楽団」と呼ばれていた団体が、最近はこのように表記されているのでしょう。
レンドヴァイという方は、あのリゲティと同じ世代の作曲家ということになります。しかし、彼の場合はハンガリーから離れることはなく、オペラハウスの指揮者や、リスト音楽院の教授として、自国の音楽界のために尽力してきました。今までにオペラや管弦楽曲、協奏曲、室内楽など、多くの作品を残していますが、ここに収録されているのは、今世紀に入ってから作られたもの、いまだに作曲家としてのポテンシャルは衰えてはいないようです。
まずは、ヨハネ黙示録から引用されたドイツ語のテキストによる「Die himmlische Stadt 天国の街」という、2004年に作られたバリトンソロと混声合唱、オーケストラのための作品です。オープニングからチェロの独奏が重々しく聞こえてきますが、このソロは最後まで各所で重要な役割を果たしています。聖ヨハネの語りをバス歌手が歌い、そこに合唱がからむという趣向です。曲の前半は、まるでモーリス・ラヴェルのような手の込んだ華やかなオーケストレーションを聴くことが出来ます。この作曲家の目指したところは、まずはこのあたりの職人的な技法だったのでしょうか。「ダフニス」で出てくる、高音から低音までのパッセージをピッコロ→フルート→アルト・フルートの3人がまるで1人のソロのように繋げるのと同じアイディアを、ここではEsクラ→クラリネット→バスクラに応用したりしていますね。
後半は、いきなり野性的なリズムが現れて、それこそカール・オルフのような雰囲気を醸し出しています。さらに、最後の最後で合唱が決められた音程ではない自由なグリッサンドを披露するという「現代的」な技法も唐突に現れます。さすがにこれは、恥ずかしがって歌っているのがミエミエ。
後半、2003年に作られた「レクイエム」は、「Dies irae」までの最初の3つの楽章で完結してしまっている割には、演奏には45分以上もかかるという大曲です。そもそも宗教的な礼拝に使うことは全く考えていなかったそうで、「作品」としての完成度にこだわったものなのでしょう。1曲目の「Requiem」は、さっきの曲と同じように独奏チェロから始まるという構成です。なにか不安をそそるような曲調は、まるでリゲティが1965年に作った同名曲に、なにか非常に近い精神すら感じられるものでした。この曲にはソプラノのソロが入りますが、彼女の声は、あたかもサラ・ブライトマンのような清楚さをたたえていて、曲との不思議なミスマッチを生んでいます。
2曲目の「Kyrie」は、合唱の各声部がフーガ風にからむ、いわばポリフォニックな曲想、こういうところでは、合唱のボロがもろに出てしまいます。ここにも、シュプレッヒ・ゲザンクが登場するのには、なにか和みます。
最後の「Dies irae」は、この長大なテキストにいともダイナミックな音楽をつけた壮大な楽章です。最後の「Lacrimosa」の直前に、1曲目の冒頭のような静謐な弦合奏が聴かれるのは、殆どお約束でしょう。合唱にもっと力があれば、このあたりで感涙にむせぶ人がいたかもしれません。

CD Artwork © Hungaroton Records Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2011-08-13 19:56 | 合唱 | Comments(0)