おやぢの部屋2
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SCHIKELE/A Year in the Catskills
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Blair Woodwind Quintet
Felix Wang(Vc)
Melissa Rose(Pf)
NAXOS/8.559687




この現代屈指の作曲家が初めて日本に紹介された時には、「ピーター・シッケレ」という発音で呼ばれていました。まんま、ローマ字読みですね。でも、今ではきちんと「シックリー」と、本人が発音している表記になっていますから、よかったですね。
ただ、ピーター・シックリーの場合は、その作品の紹介に関しては、必ずしも名前の呼び方ほどしっくりといってはいないのではないでしょうか。なにしろ、彼の場合、「副業」であった「P.D.Q.バッハ」の方がはるかに有名になってしまって、もっと「きちんとした」作品が評価されることは、少なくとも日本に於いてはありませんでしたからね。
そんな、「P.D.Q.以外」のシックリーの素顔が、もしかしたらこのアルバムでは明らかになるかもしれません。まずは、タイトル・チューンは後回しにして、「Gardens」と「Diversions」という、1960年代に作られたものから聴いてみませんか?
Gardens」(1968)は、オーボエとピアノのための作品、ピアノがパターン的なオスティナートを演奏しているところに、オーボエが瞑想的な、ほとんど印象派と言っていい息の長いフレーズを歌い上げる、といった趣の曲想です。そこに見られる真摯さは、「P.D.Q.」とは完全にかけ離れた世界です。「Diversions」(1963)は、オーボエ、クラリネット、ファゴットという「トリオ・ダンシュ」の編成で、あくまでシリアスに迫ります。時には「無調」まで顔を出すような渋く、暗い作品です。ここからは「冗談」のかけらすらも感じることは出来ません。おそらくこの時期には、このような意識して「P.D.Q.」との差別化を図った作品がいくつか作られていたのではないでしょうか。俺でも、「シリアス」な曲は作れるんだぞ、というアピールですね。ちなみに、シックリーがP.D.Q.バッハを「発見」したのは、1954年のことでした。
それが、このCDの中の1980年代に作られたものになると、微妙に作曲に対するスタンスが変わっているように感じられます。「What Did You Do Today at Jrffrey's House?」という、1988年に作られたホルンとピアノのための作品は、まず、ピアノ伴奏のパターンに非常にリズミカルなわかりやすさが見られるようになります。それは、明らかにジャズの要素が取り入れられたもの、と思っていると、最後の曲はなんとも軽快な、まさにブギ・ウギそのものではありませんか。さらに、同じ年に作られた「Dream Dances」という、フルート、オーボエ、チェロのための作品は、5つの小さな曲から成るまるで「舞曲」のような形式を持ったものですが、「メヌエット」や「サラバンド」といった、いかにもバロック的な優雅さの模倣の間に、「ジッターバグ」とか「ギャロップ」というミスマッチそのもののらんちき騒ぎが入ってくるのが、「P.D.Q.」と全く変わらないおかしさを持っているのですから、たまりません。つまり、このころになってくるとシックリーはもはや「シリアス」であるべき作品に対しても、堂々と「P.D.Q.」の手法を導入するようになっているのですね。
そして、最新作、ここで演奏しているブレア木管五重奏団のために作られたタイトル曲などは、もう「P.D.Q.」そのものではありませんか。しっとりとしたメロディだと思って聴いていると、突然場違いなブルー・ノートが出現する、などといったように、あちこちに「P.D.Q.」テイストが満載ですよ。「フィナーレ」に至っては、まるでチャーリー・パーカーのような技巧的なアド・リブのパッセージ(もちろん、ちゃんと記譜されているのでしょう)が飛び交うのですからね。1人だけ、フルートのジェーン・キルヒナーという人が恐ろしくヘタなのも、今までの「P.D.Q.」の伝統をしっかりと受け継いでいるとは言えないでしょうか。そう、シックリーが冗談でやっていた「ジキルとハイド」状態は、すっかり彼自身を蝕んでいたのですね。ある意味、これは彼にとってはとても幸せなことだったのかもしれません。

CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2011-11-01 23:11 | 現代音楽 | Comments(0)