おやぢの部屋2
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Tchaikovsky/Symphonies Nos. 4,5 & 6
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Herbert von Karajan/
Berlin Philharmonic Orchestra
EMI/TOGE-12050-52(hybrid SACD)




EMIジャパン(いずれはこの社名も変わっていくのでしょうね)が、日本国内だけに向けて制作している「名盤」のSACDは、最初のリリース分を聴いた時には本当に感激したものでした。さすがは、自社で保有しているおおもとのマスターテープまでさかのぼってマスタリングを行っただけのことはある、と思わせられるだけの、それはとてつもないクオリティを持っていたのですからね。
そして、次のリリースの予定に、このカラヤンのチャイコフスキーを見つけた時には、これはなんとしても聴いてみなければ、と思ったものです。カラヤンはこれらの曲をたびたび録音していましたが、これは1971年にDGではなくEMIに録音したものです。かつてFMでこのレコードの中の「悲愴」を聴いた時に、その圧倒的なドライブ感に圧倒された思いがあったのと、3曲中2曲でゴールウェイが録音に参加していることが分かっていたので、それをじっくり「マスターテープの音」で聴いてみたかったのですね。
ゴールウェイが乗っているのは4番と5番だというのは、幸せなことでした。それは、このチャイコフスキーの後期の3曲の交響曲では、4番がもっともフルートが活躍しているからです。それに比べたら、5番や6番は全然つまらないものです。いや、音楽的に、ということではなく、あくまでもフルートパートに限って、ということですが。
その4番では、まさにゴールウェイのフルートが堪能できました。彼が入ってくると、木管パート全体の輝きが、ワンランク上がるのが良く分かります。そして、ソロではカラヤンをも差し置いて、とても自由に吹いていることも。例えば、クラリネットが付点音符で奏でるメランコリックなテーマで始まる、第1楽章の第2主題、そのフレーズの最後のスケールの音型を模倣する時に、ゴールウェイはそれまでの流れを断ち切るように「早め」に入ってくるのですね。まるで、それまでのソロがあまりにもったりしているのにしびれを切らして、「もっと早く!」と言っているように思えてしまいます。
いや、考えてみれば、こういう風に合いの手を「早めに」入れる、というのは、カラヤンの常套手段だったはず、ですからここでは、ゴールウェイはカラヤンに向かって「あんたはいつもこうやっていたんじゃないのかい?」と言っていたのかもしれませんね。
しかし、肝心の音は、今まで聴いてきた他のSACDと比べたら全くの期待はずれでした。SACDらしい生々しさが、全く感じられないのですね。と言うか、マスターテープの段階で音がすっかり飽和してしまっていて、それはいくら他のメディアに移してもどうしようもない録音のように感じられてしまうのですよ。ちょっと見、とても華やかで輝かしい響きなのですが、ある程度の音圧を越えるとそれがとても醜く感じられてしまうのですね。そう、まさに「醜女の厚化粧」そのものの許し難い音だったのです(「酋長の厚化粧」なら許せますが)。こういう音は、FM放送などではとても強いインパクトをもたらすはず、もしかしたら、昔はそれに圧倒されていただけなのかもしれません。
これは、常々EMIでのカラヤンの録音を聴いた時に感じていたことでした。1970年代の前半に、カラヤンとベルリン・フィルは、それまでの「専属」だったDGだけではなく、EMIでも録音を始めます。その時のプロデューサーが悪名高いミシェル・グロッツです。グロッツとエレクトローラ(ドイツのEMI)のエンジニア、ヴォルフガング・ギューリッヒというチームは、この安っぽい音でカラヤンを大いに満足させるのです。カラヤンのお気に入りのグロッツは後にDGの録音でもディレクターに収まったため、彼の趣味で1980年代以降のカラヤンの録音は、全て薄っぺらな音になってしまいました。
グロッツはすでに2年前に他界しています。SACDによってよりはっきりした彼の「罪」は、もはや誰にも糾弾されることはありません。

SACD Artwork © EMI Music Japan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2012-01-23 20:42 | オーケストラ | Comments(0)