おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
STRAVINSKY/l'Oiseau de feu
STRAVINSKY/l\'Oiseau de feu_c0039487_2034568.jpg



François-Xavier Roth/
Les Siècles
ACTES SUD/ASM 06




ロトと「レ・シエクル」の第3弾、ストラヴィンスキーの「火の鳥」です。バレエ・リュスのディアギレフから依頼を受けて作られた新作、「火の鳥」がパリのオペラ座で初演されたのは1910年の6月25日のことでしたが、ロトと彼のバンドは、それからちょうど100年後に、その時の「音」を再現しようとしていました。
かつては、ストラヴィンスキーは「現代作曲家」といわれていたものです。もちろん、彼の音楽は「現代音楽」という範疇で扱われていましたね。しかし、いつの間にかそれは「100年前」の音楽になっていました。なにしろ、1910年といえば、マーラーの最後の交響曲が作られていた時です。もはや、「同時代」という意味での「現代」の音楽では、決してあり得ない状況です。
それは、作曲技法の面だけではなく、演奏に用いられた楽器の面からも、21世紀初頭の「今」と「同時代」とは言えなくなっている点にも、注目すべきでしょう。確かに、管楽器などでは基本的なメカニズムは「今」と全く変わらないものが出来てはいましたが、細かいところでさまざまな「改良」が施された結果、100年前とは、姿は同じでも全く別の音を出す楽器に変わっているものもあるのですからね。いや、そんな「改良」は、今、この時点でも続けられています。楽器のメーカーでは、常に「より優れた」楽器をお客様に届けるために、日々研究を怠ることはないのですね。未だに「新製品」という名の下に、より大きな音が出て、表現の幅が拡がるような楽器が新たに作られ続けているのです。
前回のサン・サーンスのライナーには、ロトのバンドのメンバーが、それぞれの楽器を高く掲げてポーズを撮っている写真が掲載されていました。それを見ると、ほぼ全てのメンバーが「2種類」の楽器を持っています。中にはヴィオール、チェロ、ヴィオラと、3種類の楽器を抱えている人までいました。彼らは、まさにそれぞれの作曲家の「ピリオド」に合わせて楽器を用意していたのですね。確かに、サン・サーンスとストラヴィンスキーでは、使う楽器が違って当たり前、そんなことを実践している姿が端的にわかる写真でした。
今回のライナーでは、管楽器と打楽器の全ての奏者の楽器が、中には作られた年まできちんと表示されて載っています。それは、おそらくマニアが見たらよだれを垂らしそうな貴重なコレクションばかりなのではないでしょうか。よくぞ、これだけ集めたもの、と驚かされてしまいます。
ここで、チェレスタが「ミュステル」というのに、ぜひ反応して欲しいものです。東野圭吾じゃないですよ(それは「ミステリー」)。「今」のオーケストラが備品として持っている楽器は、同じチェレスタでもほとんどシードマイヤーか、ヘタをすればヤマハですから、ミュステルとは似ても似つかない鋭角的な音、もっと言えば、もはや「楽器」とは言えないような音になっています。
そんな、もはや「今」では失われてしまった音を持った楽器が、ここでは集められています。中には、フルートの頭部管だけがクレジットされているものもありますが、その頭部管の変化こそが、この1世紀の間での最大の違いなのです。確かに、それによってフルートは画期的に強靭な音が出るようにはなりましたが、それと引き換えにまろやかな音色を失っていたのです。
ですから、ここで聴くことのできる「火の鳥」は、「今」のオーケストラとは全く異なる肌触りで迫ってきます。ガット弦を使用した弦楽器の響きと、楽器本来の美点を優先させて設計された管楽器、そこに、まるでビロードのような音色のチェレスタが加われば、いかに野性的なオーケストレーションで攻められようが、体はいとも素直に受け入れたくなってしまいます。このCDを聴けば、あの頃の「現代音楽」は、決して人間としての感覚を無視したような作られ方はされてはいなかったのだ、と、だれしもが気づくのではないでしょうか。

CD Artwork © Actes Sud
by jurassic_oyaji | 2012-02-06 20:36 | オーケストラ | Comments(0)