おやぢの部屋2
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Greek Flute Music of the 20th and 21st Centuries
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Katrin Zenz(Fl)
Chara Iacovidou(Cem)
Angelica Cathariou(MS)
NAXOS/8.572369




「ないものはない」と豪語しつつ、あらゆる国の作曲家を網羅しているNAXOSですが、「ギリシャのクラシック」などというシリーズもあったんですね。ただ、ギリシャの作曲家として最も有名なクセナキスの作品がカタログにはないのは、意外な盲点、というか、これではまるでカキノタネを置いてないスーパーみたいなものではありませんか。ペンデレツキはあれほど厚遇しているというのに、なんという片手落ち、ここは一つレーベルの威信にかけても「ギリシャ」シリーズでクセナキスのアンソロジーを揃えて欲しいものです。それにしても、「ないものはない」とはよく言ったものですね。確かに「ないもの」はありません。
そんなわけで、ギリシャの作曲家によって20世紀と21世紀に作られたフルートのための作品を集めたこのアルバムには、聞いたことのある作曲家の名前は全く見あたりませんでした。そこは、ドイツで生まれ、ギリシャで活躍しているフルーティスト、カトリン・ゼンツが、個人的にもつながりのある現代ギリシャの作曲家の作品を世に広めようという大いなる意気込みに、だまされたと思ってつきあってやろうではありませんか。
ここでは、ほとんどの曲がフルート、あるいはアルトフルート1本で演奏されています。したがって、そこからはかなりストイックな、まるで日本の虚無僧がひたすら自身の修行のために奏でるような「重たい」テイストが漂うことになります。テオドラ・アントニオウという1935年生まれの方が1988年に作った「Lament for Michelle」が、まさにそんな「無常観」とでもいうような「深さ」を、まず聴かせてくれています。そこで登場するのは、我々日本人にとっては、極めて親近感を抱けるようなフルートの奏法でした。ほとんど「雑音」にしか聴こえないような「ムラ息」や、平均律からは微妙にずれている音程などは、まさに「尺八」の世界です。日本には福島和夫が作った「冥」というフルート・ソロのための名曲がありますが、これは根元的なところでそれと同じモチベーションによって作られたのでは、と思えるほどの馴染み良さです。その中に、時折「別世界」が感じられることがありますが、それがおそらく「ギリシャ」のアイデンティティなのでしょうね。
アネスティス・ロゴテティスという、1920年に生まれてすでに鬼籍に入られている方の1978年の作品「Globus」は、一人で演奏したものを録音して、それを流しながらライブ演奏をするという、ライヒの「カウンターポイント」みたいなアイディアを持ったものです。ライヒと違うのは、ここではその頃大流行だった「特殊技法」が満載だということでしょう。いきなり「ジェット・ホイッスル」の嵐で聴くものを「現代音楽」の世界へ誘うという手法は、今聴くとなんとも懐かしく、言い換えれば「古くさく」感じられてしまいます。アルバムの中で、この頃に作られた他の作品は、おしなべてそんな「当時の新しさ」を「ホイッスル」や「重音」で主張しているものばかり、世界中どこでも、同じような「試み」は行われていたのだなあ、という感慨に浸れることでしょう。
後半に入っている「21世紀」に作られたものになると、そんな前世紀のしがらみから解き放たれた軽やかさが見られるようになるのも、やはり全世界に共通したものなのでしょう。その中で、1974年生まれの若手、ミナス・ボルボウダキスの「Aeolian Elegy」などは、タイトルの通り「風」をストレートに感じられる爽やかさがありました。これを聴けば、特殊技法はあくまで表現の手段であるという初歩的なテーゼが、今世紀になってやっと浸透してきたな、と納得されることでしょう。
1959年生まれのギオルゴス・コウメンダキスが作った「Forget me」あたりは、1929年生まれのミカエル・アダミスの作品で、フォルクローレ風のヴォーカルが入った「Melisma」とともに、民謡を素材にした、心から「ギリシャ」を楽しめる作品なのではないでしょうか。

CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2012-02-12 20:09 | フルート | Comments(0)