おやぢの部屋2
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SHOSTAKOVICH/Symphony No.5




Mstislav Rostropovich/
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO 0058



ロストロポーヴィチによるショスタコーヴィチの交響曲第5番の演奏としては、1982年に手兵ナショナル交響楽団と録音したDG盤が有名ですね。個性的という点では他の追随を許さない、独自のこだわりに満ちたものでした。今回のロンドン交響楽団による新録音(2004年7月)も、基本的な設計は旧録音と変わることはないように見えます。しかし、そこは生身の人間ですから、細かいところでいろいろ違いが発見できて、興味は尽きません。
いずれの演奏でも、第1楽章の低弦によって導かれるヴァイオリンの最初のテーマに、まず驚かされることでしょう。そのすすり泣くようなテーマには、殆どビブラートがかけられていないのです。「殆ど」と言いましたが、旧盤では完全なノン・ビブラート、初めてこれを聴いたときの衝撃は、今でも覚えていますが、強烈な印象を伴うものでした。ただ、オーケストラの能力のせいなのか、録音(あまりに残響の多すぎる、ちょっと焦点の定まらない音でした)のせいなのかは分かりませんが、その効果がメッセージとして伝わるには少し無理があるような印象を受けたことも、また事実でした。それが、今回は適度の「甘さ」が込められていることにより、より納得できる形で受け止めることが出来るのではないでしょうか。前の演奏が人一人いない荒野だとすれば、今回はあくまで人の気配は残した「廃墟」と言ったイメージでしょうか。
第2楽章では、フレーズの終わりで思い切り大見得を切ってくれる潔さが魅力的です。その点では両者とも大きな違いはないように思えますが、ヴァイオリンのソロが出てくると、思わずのけぞってしまいます。ロンドン響のコンマス(「リーダー」ですね)ゴードン・ニコリッチが後半に見せる格別のルバートには、誰しもとびきりの脱力感を味わわないわけにはいかないことでしょう。これは、ショスタコーヴィチが元々込めていた、ちょっと引きつったユーモアとはかなり異質なキャラクター、まず間違いなくロストロポーヴィチのちょっと下品な資質のなせる業に違いありません。
第3楽章には、弦楽器がグリッサンドで上昇する部分があります。今回ここを特別ていねいに強調したことには、何か深い意味でもあるのでしょうか。確かに、普段は聞き流してしまうものが、一瞬耳をそばだてずにはいられない状況に陥るのは、確かです。
第4楽章だけは、前回に比べて演奏時間が1分以上長くなっています。その分、各フレーズの歌い方はよりていねいになっています。中でも印象的なのは「強制された喜び」を表現したであろうフレーズ。ここでロストロポーヴィチが行っているのは、この曲の最初で見せた「ノン・ビブラート」とは対照的な、たっぷりしたビブラートをかけながら極端なピアニシモを維持するという表現です。この部分、これほど緊張感あふれる、まるで青白い鬼火が漂うような演奏は、ちょっと他では聴けないものです。
これ1曲しか入っていないという、CDにしては今時珍しい収録時間の短さですが、これだけ中身が濃厚だともう充分に「得」をした気分になってしまいます。これは、余計なロスを取ったことに対するご褒美としてのお駄賃でしょう(ロス取る褒美賃)。
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by jurassic_oyaji | 2005-05-11 19:44 | オーケストラ | Comments(0)