おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
Helden
c0039487_21285912.jpg


Klaus Florian Vogt(Ten)
Peter Schneider/
Orchester der Deutschen Oper Berlin
SONY/88697988642




リヒャルト・ワーグナーの曾孫であるカタリーナ・ワーグナーが、30歳になったばかりという若さでバイロイト音楽祭のトップに座ったことで、この音楽祭もずいぶん変わったものになりました。それまでは、タキシードやイブニング・ドレスに身を包んだ人たちが、まさに「聖地」に「詣でる」といった、ある種特権階級のためのもののようなイメージがあったものですが、今ではなんと街中の広場に巨大モニターが設置され、この「聖堂」の模様が短パンやタンクトップ(もしかしたらトップレス)姿で誰でも見られるようになっているのですからね。
さらに、インターネットや衛星中継でHD映像を同時生中継などという、まさに夢のようなことまで行われるようになりました。昨年のその「生中継」の演目は、奇しくもその44年前の「世界初衛星生中継」の時と同じ「ローエングリン」でした。しかし、もちろん演出はヴォルフガング・ワーグナーのものから、鬼才、ハンス・ノイエンフェルスのものへと変わっていました。その、ネズミの大群やら胎児などが登場するグロテスクなプロダクションでタイトル・ロールを務めていたのが、クラウス・フローリアン・フォークトです。彼は、そんな刺激的な舞台の中で、全世界に向けて刺激とは無縁の甘い歌声をノーテンキに垂れ流していたのです。いや、その声は別にノイエンフェルスの舞台でなくとも、そもそもワーグナーを歌うテノールには必ず求められるキャラクターを、完璧に欠いていたのです。
フォークトの声を初めて聴いたのは数年前、「大地の歌」のCDでした。それは、まさに衝撃的な出会いでした。いえ、別にその声の素晴らしさに驚いたわけではなく、こんな声の人がワーグナーの「ヘルデン・テノール」として、高い評価を受けていることを知ってしまったからです。その時は、本気で冗談ではないかと思ったものです。この人の声には、これまで聴いて来た「ヘルデン」とされている他のテノール、たとえば往年のジェス・トーマスやヴォルフガング・ヴィントガッセン、最近だとサイモン・オニールやヨナス・カウフマンなどに共通している「力強さ」がまるでないのですね。共鳴のポイントがもっと高いところにあって、半分ファルセットが混じっているような、声の質としてはワーグナーで言えばローゲやダーヴィッドのような「軽さ」が全面に出ているものなのです。そんな役を得意としていたペーター・シュライヤーを、さらにナヨナヨにした声、いや、もっと似た声を探すとすれば、あのアンドレア・ボチェッリあたりかもしれませんよ。あのぽっちゃりしたボチェッリがローエングリンを歌う姿なんて、想像できますか?そんなおぞましいことを実現してしまったのが、フォークトなのですよ。絶対、なにかが間違っています。
ただ、世の中にはこんなローエングリンを絶賛する人も、なぜか存在するのですね。そして、ついに「ヘルデン」などという恐ろしいタイトルのこんなソロアルバムまで出てしまいました。まさに「怖いもの見たさ」で聴いてみましたよ。
確かに、ここにはとても「美しい」ワーグナーがありました。大好きな「Winterstürme wichen dem Wonnenmond」などは、そのとろけるような甘さについ心が奪われてしまいそうになります。しかし、その美しさの中には、同時にはかなさも感じられてしまいました。確かにワーグナーの作品に「はかなさ」は欠かせませんが、ここにあったのはそれとは微妙に異なる、なんとも薄っぺらな「はかなさ」だったのですね。それは、同じアルバムの中のコルンゴルトの「死の都」あたりではかろうじて通用するものかもしれませんが、ワーグナーでは決して通用することのないものであることを、このアルバムは見事に証明してくれています。
フォークトのことを「ヘルデン」だなどと思いこんでいる人たちが、いつかは目が覚めることはあるのでしょうか。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
[PR]
by jurassic_oyaji | 2012-03-04 21:30 | オペラ | Comments(1)
Commented by 【篠の風】 at 2012-03-06 17:54 x
激しく同意!(笑)