おやぢの部屋2
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天空の蜂
 東野圭吾の文庫本は、脈絡なく読んでいたら、とうとうこの間は同じ本を2冊買ってしまいました。「最新刊」なんてあったもんで、何の疑いもなく買ったのに、読み始めてすぐこれはもう読んでたことが分かってしまいました。確かに「最新」ではあったのですが、それはもう何か月も前のことだったのですよ。きのうは、本当に出たばかりの「最新刊」を買いましたから、それは大丈夫なはず、ですがね。
 昔の本は、たまにまだ読んでないようなものを見かけたりするのですが、念のためそこでは買わないで、家に帰って確かめると、ほとんどはやはり読んでいたものだったりしますから、用心が必要です。でも、この間見かけた、ものすごく厚い、まるで辞書のような本は、どこから読んでも心当たりがなかったので、その場で買ったら、確かに初めてだったので一安心です。それは、最初に単行本が出たのが1995年という、かなり昔に書かれた「天空の蜂」です。
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 彼の作品にしては、なんだか登場人物がものすごい数です。彼は、一人一人のキャラクターをとても丁寧に描写してくれるのがとても気に入っているのですが、こんなに多くてはそれも大変なのでは、と思っていたら、やはりなかなか入っていけませんでしたね。いつもならそれぞれの人物がきっちり頭の中に描けるのですが、それがちょっと難しいのですよ。というのも、この話は、関係している「場所」が、恐ろしく多岐にわたっているために、まずそれを理解するのに一苦労、ですから、もう人の名前なんかを覚えるのはあきらめて、ストーリーに専念して読むことにしました。
 でも、あるときから、物語の進む方向が分かってくると、それからは何の障害もなく話の中に入って行けるのですから、面白いものです。この本の場合は、そのキーワードが「原発」でした。ここで著者が、物語の背景として描いている「原発」を巡るさまざまな立場の人の言動を、「今」に照らして見ながら読んで行くと、とても「現実味」がわいてくるのですね。ここで知ることが出来る、ほぼ20年前の「実態」は、当時なら単なる物語として読み過ごすことが出来たかもしれませんが、実際にあんなことが現実となってしまった「今」読む時には、あまりの恐ろしさに背筋が寒くなってしまいます。
 著者は、決してこの時点で、「今」を予言したわけではないのでしょう。単に、小説家としての「性」が、当時の「原発」の実態を深く知りたがっていたにすぎないはずです。おそらく、こんなことが現実に起こってしまって、最も驚いているのは彼自身なのではないでしょうか。そんな邪心のない訴えは、「今」本屋にあふれている煽情的な本よりはるかに説得力があります。
 原発が事故を起こすというのがどういうことなのかということを身をもって体験したはずの「今」の人たちの中に、それでも原発を再稼働させようと考える人がいることは、私の理解をはるかに超えるものです。いや、たとえ事故が未来永劫起こることがないという「奇跡」が起こったとしても、処理のできない使用済みの核燃料は確実に増えて行くのですからね。この本の中で、その問題を解決するために、未来を信じて日々研究を行っている人も登場しますが、その「研究」は、当時の「未来」、つまり「今」になっても完成はしていないのですからね。
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 「今」では、こんな、居酒屋でありながら「禁煙」の看板を出すという、ちょっと前までは考えられなかったことが現実となっています。居酒屋ではタバコを吸いたいというのが、再稼働を進めようとしている輩の言い分です。でも、それはもはやだれにも受け入れられないのは明らかなのですよ。原発をすべて廃炉にすることこそが、知的生物であるはずの人類のすべきことなのではないでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2012-04-13 08:43 | 禁断 | Comments(0)