おやぢの部屋2
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HUMMEL/Hatikva, Fukushima
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Giora Feidman(Cl)
Franz Hummel(Pf)
Elena Denisova(Vn)
Alexei Kornienko/
Moscow Symphony Orchestra
TYXART/TXA12002




もしも、1年4か月以上前に「交響曲福島」などというタイトルの曲が作られたとすれば、それは間違いなくこの地方の豊かな自然を反映した、いとものどかな情緒が漂う作品となったことでしょう。もしかしたら、そこからは民謡の一節なども聴こえてきたかもしれません。
しかし、今となってはそんなことは全く考えられません。「福島」というのは、「あの日」を境に人類の悲劇を象徴する地名に変わってしまったのです。「アウシュヴィッツ」のように。
1939年生まれのドイツの作曲家、フランツ・フンメルが作った「ヴァイオリン交響曲『福島』」は、まさにそのような意味で「福島」が使われた典型的な事例に違いありません。しかも、ここではさらに象徴的な地名「広島」までが加わります。作曲家は、最初「原爆」が投下された直後の広島の写真を見て、それにインスパイアされた曲を作ろうとしたのです。しかし、この構想は実現しないまま、未完の作品だけが残りました。そして、あの「原発」事故が起こります。作曲家は、そこに「広島」と同じ惨事を感じたのでしょう、タイトルを「福島」に変えて、作品を完成させたのでした。
ヴァイオリン・ソロを終始フィーチャーさせたその作品は、「ヴァイオリン交響曲」という不思議な呼び名を与えられていました。音楽の基本は無調、しかし、ラテンのテイストはなく(それは「ベサメ・ムチョー」)、オーケストラは常に不気味な響きを大音量で叫び続けています。時折ティンパニが炸裂するような場面では、まさにホラー映画のようなサプライズを味わうことができるはずです。そんな音響の海の中を、ソロ・ヴァイオリンはとてつもなく難しく、したがってほとんど何の意味も伝わってこないフレーズを飽くことなくかき鳴らしています。それは確かに、「原爆」なり「原発」なりの惨事を過不足なく表現しているもののように聴こえます。いや、確かにそれらの事象の恐ろしさが生々しく伝わってくる音楽であることは間違いありません。
そんな過激な音楽が、終わり近くになって調性を取り戻し、平静な情景が広がります。しかし、それはほんの一瞬のことでした。またもや繰り返される意味をなさない不気味な音響の世界、それはまるで人間の愚かさをあざ笑うかのようです。そう、「惨事」を本気になって伝えようとすれば、このぐらいの技法を使って迫るべきなのです。「明けない夜はない」などと、ノーテンキに構えている場合ではありません。
もう1曲、ここで聴くことができるのは、「クラリネットとオーケストラのための交響曲『ハティクヴァ』」です。これも、ソロ・クラリネットが大活躍するまぎれもない「協奏曲」なのですが、この作曲家は「交響曲」というタイトルにこだわります。
「ハティクヴァ」というのは、イスラエルの国歌のタイトル、「希望」という意味を持った言葉なのだそうです。ここでは、スメタナの「モルダウ」に酷似した(イスラエル国民も、自嘲的にそのように言っているそうです)テーマが現れますが、それをもとにした一種の変奏曲になっています。この作品では、オーケストラはとても美しい聴きなれたハーモニーを奏でることの方が多くなっているのは、「福島」とはずいぶん異なった点です。しかし、こちらはクラリネットのソリストがとんでもないキャラの持ち主でした。というか、そもそもこのギオラ・ファイドマンというアルゼンチン生まれのユダヤ人の演奏を想定して、この曲は作られているそうです。クラシックの場合、クラリネットはまずビブラートをかけないで演奏するものですが、彼はもうビシャビシャにビブラートをかけまくり、とても「熱い」思いを込めてハイテンションの演奏を繰り広げます。それはまさに作曲家が言う「魂の叫び」そのものなのでしょう。
「共感」という意味では、こちらの方が「福島」より数段上です。

CD Artwork c TYXart
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by jurassic_oyaji | 2012-07-02 19:53 | 現代音楽 | Comments(0)