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さよならビートルズ/洋楽ポップスの50年は何だったのか
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中山康樹著
双葉社刊(双葉新書043)
ISBN978-4-575-15395-8



タイトルが「さよならビートルズ」で、帯のコピーが「ビートルズはダサい!?」とくれば、これはもはやビートルズは今の人にとっては必要のない時代遅れの音楽であることを説いた本のように思われてしまいそう。というか、この帯コピーは著者とは全く関わり合いのないところで作られたもののような気がします。この本のどこを読んでみても、そんな、ビートルズを貶めるような記述は見当たりませんからね。こんな風に、ただ売りたいがために必ずしも内容に即してはいないコピーを使うことは、CD業界に限ったことではなかったのですね。ほんと、○クソス・ジャパンの帯コピーなんかひどいものです。これなんか、あまりにお粗末で悲しくなりますね。
この本は、サブタイトルにもあるように、ビートルズがEMIからメジャー・デビューした1962年を日本における「洋楽元年」と位置づけ、それからちょうど50年目にあたる2012年現在から「洋楽」シーンを振り返ろう、というものなのです。われわれクラシック・ファンにとっては、「洋楽」の歴史はたった50年ではないだろう、と思うのは当然のことですが、もはやこの言葉は「明治時代に西洋から入ってきた音楽」という意味でつかわれることは極めて稀だ、という認識は必要です。そのあたりは著者も心得ていて、前書きでまずこの言葉の意味をしっかり定義してくれていますから、安心できます。
そのような、「安心感」は、著者が1952年生まれの、もはや還暦を迎えた分別のある大人であることから生まれるのでしょうか。最近ネットなどで雑な文章を書きなぐっている若いライターの文章とは一線を画した、いたずらに煽り立てることのない文体には非常に好感が持てます。しかも、ここで語られている「50年」というのは、まさに著者がリアルタイムに「洋楽」に接してきた時期と重なっているのですから、その記述には重みがあります。「事実」を語るだけならば、資料を繙くことによってある程度のことは可能ですが、その時代の「空気」を実際に体験している人には、その「事実」の「意味」までをも的確に綴ることができるのですから。
例えば、1964年のラジオ番組でのリクエストランキングの曲目が羅列されているページを見てみるだけで、おそらくそのころに「洋楽」を聴いていたことがある人ならば、それは単なる曲目のリストというだけではない、当時の生活の匂いまでも蘇らせてくれるタイトルの集まりと感じられるのではないでしょうか。
そんな、まるでタイムマシンに乗せられたかのようなリアリティあふれる回想に交えて語られる「洋楽」受容史、そこで登場するビートルズの来日公演の「意味」を語るパートこそが、この本の一つのハイライトであることは間違いありません。この公演では、「前座」として日本人のミュージシャンも演奏を行ったのですが、そこに出演した人たち、出演を依頼されたのに断ったバンド、さらには「出る」よりも「聴く」方を選んでバンドを脱退した人などに、その後のそれぞれの人たちの姿を重ね合わせると納得のいくことが思い当ったりしませんか?内田裕也って、いったいなんだったんでしょう。
そのような、まさにノスタルジーなくしては語れない輝くばかりの日々の体験の後に、あまりにも唐突に現れるのが、「現代」の「洋楽」シーンを嘆く著者の姿です。まあ、気持ちは分かりますが、こればっかりは時代の流れなのですから、受け入れるほかはありません。「洋楽」は文化である前に「商品」なのですからね。
でも、「ラップは意味がわからないからこそかっこいい」という著者の主張には、無条件に賛同してしまいます。「和訳ポップス」が消滅したように、「日本語ラップ」が消え去る日は、遠くはありません。いや、去らないかな(それは、「去らんラップ」)。

Book Artwork © Futabasha Publishers Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2012-07-20 22:43 | 書籍 | Comments(0)