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音楽への礼状
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黒田恭一著
小学館刊(小学館文庫
619
ISBN978-4-09-408752-9



かつて「音楽評論家」と呼ばれていた職業の方々は、それぞれに特徴的な語り口を持っていたものでした。いや、それは文章の上での比喩としての「語り口」ではなく、実際に「喋る」時の、聴覚的な「語り口」のことです。というのも、ある時期にはこの方たちの本来の仕事である「評論」ではなく、ラジオやテレビを通じて実際に語りかける、いわば「解説」を通して彼らに接していたことが、頻繁にあったものですから。
彼らは、まるでそのようなトークについての特殊な訓練を受けたかのように、実になめらかな話し方で音楽番組に登場していました。それはもう、話し方を聴いただけでも誰なのかが分かってしまうほどの個性がありました。吉田秀和さんなどはまさに別格、何よりもその美しい外国語の発音で、文字だけでは決してわからない演奏家の名前などの正確な「音」を聴かせてくれていたものです。「カール・ベーム」のウムラウトの発音を初めて知ったのは、彼の語りからでした。同じように、評論家ではありませんが、やはり正確な発音で知的そのものの解説を聴かせてくれたのが、柴田南雄さんでしたね。かなり格は落ちますが、大木正興さんという方も、こちらは別の意味での特徴のある話し方と、何よりも露出の多さでなじみのある方でした。
そんな中で、黒田恭一さんの語りは、そのような「音楽評論家」とは一線を画した、特別な魅力を持っていました。とても穏やかな話し方は、常に聴き手に対する思いやりのようなものを感じられるものだったのです。あるいは、そのように思えたのは聴き手に物を「教える」というのではなく、あくまで自分の好きなものを一緒に好きになってもらえれば嬉しいな、といったような、常に一歩下がった場所から控えめに語るスタンスを貫いていたからなのかもしれません。
今回文庫本として復刻された、22年も前に出版され、クラシックに限らずジャズやカンツォーネのアーティストに対して「礼状」を送る、という体裁で書かれた、なんとも粋な文章が集められたこの本の中でも、黒田さんはそんなスタンスを見事に貫いていました。それは、アンドレ・プレヴィンに対する「礼状」の中で、プレヴィンの謙虚さをたたえるという文脈で、著者の共感とともに語られています。そこで、そのような奥ゆかしい態度を際立たせるためのアンチテーゼとして登場するのが、著者が伝え聞いた別の「音楽評論家」のエピソードです。なんでも、その長老評論家は、連載を書いていた音楽雑誌が、新聞広告の中にうっかりして彼の名前を入れ忘れたことを根に持って、担当者に「きみのところとのつきあいを考えさせてもらう」みたいなことを、電話でネチネチと語った、というのですね。そのために、この哀れな評論家は「そんな目立ちたがり屋がいることは信じがたい」と、黒田さんの信奉する「目立たない美学」を強調するための生贄にされてしまっているのです。
正直、このエピソードは不愉快以外の何物でもありませんでした。いや、その「評論家」ではなく、そんなことをわざわざ取り上げた黒田さんが、です。これはまるで、今ネットに蔓延している安っぽい正義心に根差した誹謗中傷そのものではありませんか。よく、その「評論家」から訴えられなかったものです。そういえば、黒田さんご自身が翻訳なさったジョン・カルショーの著作の中で、著者が本人の名誉のために頑なに名を伏せた「我らがジークフリート」の正体を、別の人による新しい訳本の序文で見事にバラされたのは、黒田さんご本人でしたね。
同じような、カルロス・クライバーに対する行きすぎたおせっかいのように、ここには著者の心根の醜さが見え隠れしています。なまじ、他の殆どの人に対する思いが美しく感じられるだけに、そのどす黒さは際立ちます。これでは「礼状」ではなく、ほとんど「令状」です。

Book Artwork © Shogakukan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2012-09-12 20:39 | 書籍 | Comments(0)