おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
オーケストラ再入門
c0039487_20201670.jpg







小沼純一著
平凡社刊(平凡社新書 653)
ISBN978-4-582-85653-8



最近は新書版でも「帯」によってこんなにカラフルな表紙が出来上がります。しかし、これではまるで坂本龍一の著作のように見えてしまいませんか?
実際にこの本を書いたのは、小沼純一さんという、大学の先生です。とは言っても、文学関係の教授だそうですから、音楽を専門に教えているわけではありません。特に経歴にも記載されてはいませんし、本文の中でも言及はされていないので、楽器を演奏するための専門的な教育を受けたことがあるかどうかは、不明です。
とは言っても、この小沼センセイの著作には、いろいろなところで遭遇していました。武満徹、高橋悠治、あるいはちょっと前のミニマリストなど、興味を喚起させられる作曲家の周辺に、それはたびたび顔を出していたものですから。そんな人が書いたオーケストラの本ならば、少なからぬ興味がわいてきます。
この本のサブタイトルは、「シンフォニーから雅楽、ガムラン、YMOまで」というものでした。古典的な意味での「オーケストラ」の概念をまずきっちり押さえたあとで、この言葉の意味をもっと広くとらえ、多くに人間が参加する音楽形態について時空を超えて論じよう、といったほどのコンセプトでしょうか。
特徴的なのは、おそらくそれが著者のいつもの視点なのでしょうが、そのような時代、ジャンルの異なる集団を、すべて同格に扱っていることでしょう。もちろん、古典的な「オーケストラ」については、歴史的な変遷も含めてかなり詳細に述べられています。その中で、実情にそぐわないような記述も少なからず見られますが、これは茂木大輔さんほどの実体験がないことには、まず必ず陥るミスですから、気にすることはありません。
それよりも、おそらくこちらの方が著者にとってはお得意な分野なのでしょうが、「ジャズ・オーケストラ」を扱った部分での生き生きとした筆致には、惹かれるものがあります。正直、この部分での固有名詞に関しては知らないものが大半ですから、この面での著者の造詣の深さがうかがい知れます。あるいは雅楽とかガムランなどの的確な記述にも、頷かされる部分は多々ありました。
たた、そのような「知識」に関しては得ることの多い著作ではありますが、それらの事象が意味もなく並べられているだけ、と感じられるのはなぜでしょう。そこでは、単に知識を披露しているだけで、その先の展望、つまり、著者がこの本の中で伝えたかったであろうメッセージがほとんど読み取れないのですね。なにか上っ面だけの話に終始している、という印象が強いのですよ。
そのうちに、「Nø Nukes Jazz Orchestra」のことを述べたくだりで、何か聞きなれない言葉が登場しました。それは、「東北地方太平洋沖地震」という言葉です。調べてみると、これは昨年3月11日に発生して、あの「東日本大震災」を引き起こした地震の「正式名称」なのだそうです。初めて知りました。そこで、改めてこの「震災」関係の報道や書籍を見直してみたのですが、この「東北地方~」という呼び名を使っているものは見当たりませんでした。というより、被災者をはじめこの「震災」に関わる人にとっては、あの災害は「東日本大震災」以外に呼びようがないのでは、という印象を新たにしました(なぜか、この「オーケストラ」は好んで「東北地方~」を使っていましたね)。言葉というのは不思議なもので、ほんのちょっとした使い方の違いから、その人の嗜好や人生観までが分かってしまうことがあります。これがまさにそんな好例です。小沼センセイが「東北地方~」という言葉を使ったことによって、もしかしたら、彼はこの災害には表面的にしか関わっていないのではないか、といったようなことまでもが、分かってしまうかもしれないのですね。まあ、人それぞれですから、それはどうでもいいことですが。
ただ、この本が、何か地に足がついていない空虚な印象しか与えられない訳だけは、分かったような気がします。

Book Artwork © Heibonsha Limited, Publishers
[PR]
by jurassic_oyaji | 2012-09-18 20:21 | 書籍 | Comments(0)