おやぢの部屋2
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戦争レクイエム
 この間、BSでブリテンの「戦争レクイエム」のライブを放送していましたね。この曲が作られてから50年、半世紀経ったという記念で、初演が行われた場所で、初演を行ったオーケストラが演奏した、というものです。それ以外の、例えば指揮者とかソリストとかはもはや鬼籍に入っておられますから、参加は出来ません。「50年」というのは、そのぐらいの時間なのですね。
 この曲には、初演の直後に録音されたDECCA盤という「極めつけの名演」があります。というのも、そもそもブリテンがこの作品を考えた時に想定したソリストが、完全な形で参加できているからです。初演の時には、ソプラノのソリストにと希望していたヴィシネフスカヤが当時のソ連から来ることが出来なかったのですが、録音の時にはめでたく参加できていて、テノールのピーター・ピアーズと、バリトンのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウとの三役揃い踏みが実現できたのでした(プロデューサーのカルショーの手記によると、ヴィシネフスカヤは待遇にごねて危うく帰ってしまうところだったそうですが)。
 ただ、この録音は何度も聴いていましたが、今一つ共感できるものではなかったのですね。これも、ブリテンの他の作品と同じ駄作に属するものだ、とその時は思っていました。
 でも、今回のライブを聴いてみると、結構いいんですね。一番の違和感の元だった小さなアンサンブルの扱いも、ここでは難なく馴染んでいました。改めてDECCA盤を聴き直してみると、やたらテンションが高いのが分かります。今回はいともあっさりとした扱い、その辺の違いが悪印象の原因だったのかもしれません。
 俄然、この曲に興味がわいてきて、そういえば、この録音のすぐ後に日本でも初演されていたことを思い出しました。1965年の2月に、オケは読響、本当はブリテンが来て指揮をするはずだったのが、それが出来なくなってDECCA盤での合唱指揮者デイヴィッド・ウィルコックスが代役で来日したというところまでは思いだしたのですが、その時のソリストが誰だったのかは、はっきり覚えてはいませんでした。ネットで調べても、それに関しては見事に何も見つからないのですね。確か、さっきの3人が来てたような気もしますが、いくらなんでもそこまでは出来なかっただろう、と、気になって仕方ありませんでした。
 実は、私は昔からの音楽雑誌をかなり集めています。ちょっと探してみたら、その時の記事が載った「音楽の友」が見つかったのですよ。
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 この号には、当時の音楽評論家が、この演奏会について感想を述べたりしています。そして、写真も載ってます。
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 テレビカメラもありますから、おそらく放送されたのでしょう。なんか、そんなのを見たような記憶もあるような気もします。
 しかし、この頃の日本の音楽界は、まだまだ「発展途上」だったことが、こんな雑誌を今頃読んでみるとよくわかりますね。ちょうど、東京都交響楽団が団員のオーディション(その頃はそんな言葉はなかったようで「団員選抜」とか書いてありましたね)を行っていたころで、世の中には賛否両論が渦巻いていたそうです。この号の巻頭言が、その都響に関するもので、野村光一は「立派なオーケストラを作るためには、余計な演奏を引き受けないで、定期演奏会に集中しなければいけない」などと、アホなことを書いていましたね。そういう時代だったんですよ。1965年というのは。
 あ、日本初演のソリストは、すべて日本人でした。ソプラノが 伊藤京子、 テノールが中村健、 バリトンが立川澄人(清登)です。懐かしい名前ですね。
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by jurassic_oyaji | 2012-10-03 20:31 | 禁断 | Comments(0)