おやぢの部屋2
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PENDERECKI/Canticum Canticorum Salomonis
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Olga Pasichnyk(Sop), Rafal Bartminski(Ten)
Tomasz Konieczny(Bas), Jerzy Artysz(Narr)
Antoni Wit/
Warsaw Philharmonic Choir and Orchestra
NAXOS/8.572481




1926年生まれのドイツの作曲家、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェが亡くなりましたね。名前だけは有名な人でしたが、実際に作品を聴いたことはほとんどなかったので、何の感慨もありません。誰かが「ベンジャミン・ブリテンみたいな人」と言っていましたが、確かに、ブリテンが亡くなった時にも全く痛みは感じませんでしたね。ただ、新聞にあったヘンツェの追悼記事で、彼の肩書が「現代音楽作曲家」とあったのには、思わず反応してしまいました。というか、笑ってしまいました。つまり、確かに「現代」に亡くなった音楽を作る人なのですから、このように呼ばれても文句は言えませんが、他の職業でわざわざ「現代」をつけることはあり得ません。「現代民主党議員」とか「現代映画俳優」とかね。ということは、ヘンツェはただの「作曲家」ではなく、あくまで「現代音楽」の「作曲家」だったんですね。言い換えれば、今生きている作曲家には、「現代人」でありながら「現代音楽」以外の音楽を作っている人たちもいるということなのでしょう。そういう人は、亡くなった時には単に「作曲家」と肩書が付くだけなのでしょうね。
なんともくだらないツッコミですが、良識ある音楽ファンの中ではもはや死語と化した「現代音楽」という言葉が、いまだにマスメディアの中では通用していることに、軽い驚きを感じたものですから。
そこで思ったのは、いずれ近いうちに鬼籍に入るはずの1933年生まれのペンデレツキは、その時の死亡記事には、果たして「現代音楽作曲家」と書かれることはあるのかどうか、ということです。こういう、「過去」には「現代音楽」を作っていても、「現代」ではただの「音楽」しか作っていないような作曲家の事を、メディアはどう呼ぶのか、非常に興味があるところです。
恒例となったNAXOSのペンデレツキ全集のご紹介、今回は合唱曲、いや、正確には声楽曲ばかりが集められたアルバムです。ここでは1959年から1997年までの作品が5曲収められています。それがきっちり年代をさかのぼる形で並んでいるものですから、いやでも彼の作風の変遷を感じないわけにはいかないという、相変わらずの意地の悪い選曲です。
制作者の思惑通り、1986年の「ケルビムの歌」と1973年の「ソロモンの雅歌」との間には、とてつもない「断層」が横たわっていることに、だれしも気づくことでしょう。「現代音楽作曲家」と、「作曲家」との違いを、これほど雄弁に語っているアルバムも稀です。
もっと詳しく見ていくと、その前の「Kosmogonia」(1970)と「Strophen」(1959)との間にも、小さな溝があることを発見できるはずです。それは、他の作曲家、あるいはその当時の趨勢だったまさにその時代でしか通用しない「現代音楽」を飛び越えて、彼自身の作るものが「現代音楽」そのものになることが出来たという、歴史的なステップと言えるでしょう。それに比べれば、その後に訪れる「断層」など、見かけは派手でも作曲家にとってはいともたやすく越えられた壁に違いありません。というより、それは「越える」というほどのエネルギーは必要としない、もしかしたら単に「滑り降りる」だけのことだったのかもしれないのですから。
言うまでもなく、その、最も高いポテンシャルを保っていた1970年代の2つの作品が、このアルバムの中では確かなインパクトを与えてくれます。声とオーケストラが混然一体となって作りだす自然の摂理を超えた音響は、聴く者にとっては忘れ得ぬ体験となることでしょう。
これらの作品の先駆けとも言うべき、1962年の「Stabat Mater」がニ長調、そしてそこから派生した1966年の「ルカ受難曲」がホ長調の純正な和音で終わるのと同様に、「Kosmogonia」の真ん中あたりでは変ホ長調の三和音が高らかに鳴り響きます。今となっては、これが「断層」以降のために彼が張っていた伏線のように聴こえるのは、断腸の思いです。

CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2012-11-04 00:02 | 現代音楽 | Comments(1)
Commented by 永田町 at 2012-11-04 12:42 x
ペンデレツキも三枝成彰も死後は作曲家でしょう。
二人とも正しい音楽のあり方に気付けて良かったです。