おやぢの部屋2
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BRITTEN/War Requiem
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Evelina Dobracheva(Sop)
Anthony Dean Griffey(Ten), Mark Stone(Bar)
Jaap van Zweden, Reinbert de Leeuw/
Netherlands Radio Philharmonic Orchestra
Netherlands Radio Choir & Children's Choir
CHALLENGE/CC72388(hybrid SACD)




最近、ブリテンの「戦争レクイエム」がなんだか頻繁に演奏されているのでは、と感じるのは単なる錯覚なのでしょうか。いや、この曲が作られたのが1962年、今年がそれから半世紀という事実が大きく関わっていることは間違いありません。実際に、この曲を委嘱したコヴェントリー大聖堂で、まさに初演から50周年に当たるその日に演奏された模様が、BSで放送されていましたね(このネルソンス指揮の映像は、もうすぐARTHAUSからDVDBDが発売になります)。さらに、少し前には小澤征爾の2種類の録音(2009年の松本と2010年のニューヨーク/DECCA)がリリース、さらにノセダとロンドン交響楽団の録音(2011/LSO LIVE)が出たばかりだというのに、こんな大曲がまたこのように別のレーベルからリリースされるのですから、今はちょっとした「戦争レクイエムインフレ」状態ですね。いや、来年の6月には、ラトルとベルリン・フィルが定期演奏会でこの曲を取り上げるのだそうです。これも、何らかの形で商品化されるのでしょうから、当分このブームは収まりそうもありません。
ストレートに「戦争」という単語をタイトルに付けたことでも分かるように、この作品はまさにストレートに「反戦」のメッセージが込められたものになっています(ブリテン自身は「ストレート」ではありませんでしたが)。それは、通常の「レクイエム」のラテン語の典礼文で作られた音楽の間に、ウィルフレッド・オーウェンの極めて直接的な英語による反戦詩をテキストとした音楽が挿入されていることで、まさにむき出しの形で「反戦」の意志を表明しているような外観に仕上がっています。さらに、その「反戦」のパートを際立たせるために、作曲家は「典礼」とは全くテイストの異なる音楽をそのテキストに与えるとともに、演奏者も、完全に隔離されたセットとしてテノールとバリトンのソロをオーケストラとは別の小アンサンブルが伴奏するという形を取りました。しかも、このアンサンブルのパートは、本来は全体のオーケストラとは別の指揮者が立てられることになっていました。
今回のズヴェーデンの演奏は、ノセダ盤よりも前の2010年にライブ録音されたものでした。そういえば、先ほどから紹介している最近のアルバムは、すべて実際の演奏会を録音したものでした。やはり、この曲を演奏するということは、同時に「反戦」のメッセージを直接聴き手に伝えたいという強い気持ちがあってのことなのでしょう。セッション録音ではそんな気持ちはかないません。音楽家がそう思いたくなるような、切実な危機的状況を現代社会は抱えている、ということになるのでしょうね。
 ただ、この作品には、はたしてそんな音楽家の気持ちをしっかり受け止めるだけの力が備わってはいるのでしょうか。全くの私論ですが、この曲の「目玉」である2人の男声ソリストとアンサンブルのパート(この演奏では、デ・レーウが指揮を担当しています)は、本体のラテン語の典礼文に基づく大編成のパートの持つ「力」に対して、いたずらにそれを殺ぐような働きとしてしか機能していないように感じられるのです。特に、ここで歌っているテノールソロは、小澤盤でも参加していたアンソニー・ディーン・グリフィーなのですが、この人の歌い方がなんとも中途半端なために、その思いはさらに強くなります。
それに比べて、「本体」の方は、真摯な祈りが込められ、深いところから熱い思いが露骨な形ではなく現れてきています。ここでのドブラチェヴァのソロはちょっともの足りませんが、初録音のヴィシネフスカヤなどでは、圧倒的にその思いは伝わります。この曲は、「本体」だけで充分その使命を果たしているのですよ。
そろそろ、ゴミみたいな余計なものを片づけて、この作品をもっときれいにして演奏する人が出て来ないものでしょうか(それは、「清掃レクイエム」)。

SACD Artwork © Challenge Records Int.
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by jurassic_oyaji | 2012-11-09 19:48 | 合唱 | Comments(0)