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合唱「コンクール」
 Facebookでリンクを見つけた、日本有数の合唱指揮者、三澤洋史さんのブログは、私が常々「合唱コンクール」に対して抱いていた問題点とまさに同じことを指摘してくれていましたね。日本の合唱業界の中にも、きちんとこのコンクールの「負」の部分を認識している人がいることを知って、少しは救われた思いになっているところです。
 今でこそ、もう「合唱」の現場からは完全に足を洗っていますが、ほんの数年間ほどどっぷりこの世界に入ってみて、コンクールを実際に体験したり、すぐそばで眺めていたりすると、本当にここに書かれているようなことを実地に体験することが出来ました。技術的な欠陥が全くないのに、音楽は全然つまらない、というところが、必ず上位に入賞しているのですよね。まあ、それは私の審美眼がかなり偏ったものである、という点のほうが、大きな要因なのでしょうが、それは必ずしも間違ったことではなかったのでは、と、すこしホッとしています。
 このブログは中高の部に関してのものでしたが、今日あたりは富山で一般の部も始まっているはずです。宮城県からは、去年全国で金賞を取って、さらには「シード権」まで獲得した団体が出場していますから、きっと今年も良い成績を残してくれることでしょう。ただ、もうだいぶ前に指摘していたことですが、この「シード権」という、おそらく日本の合唱業界の中でしか通用しないような制度については、なんとかならないものでしょうかねえ。
 そもそも、全国で1位になった団体が、次の年に予選なしでいきなり本選に出られる、という制度自体が、とても不思議なものだとは思いませんか?いや、その前に、いやしくも「コンクール」で最高の賞を獲得したのなら、もうそれで十分だとは思わないのでしょうか。これが、例えば学生であれば、次の年にはメンバーが入れ替わりますから、まあ毎年挑戦するのも分かりますが、「一般」の場合はまず大多数のメンバーは同じはずですから、「金賞」の次の年に「銀賞」になったりしたら、恥かしくてしょうがなくなってしまうのではないでしょうかね。ですから、せっかく最高の賞をもらったのですから、もうそれでコンクールは「卒業」する、というのが、まっとうな神経なのでは、と、ずーっと思っています。
 もう一つ、せっかく「シード」で予選は免除されているというのに、県大会でも東北大会でもしっかり出てきて歌っている、というのが、とても不思議でなりません。ふつう、高校野球などの「シード」と言えば、1回戦は戦わなくても良くなる制度ですよね。野球の場合は、「戦わなくてもいい」というのは、当然「試合に出なくても勝ったものとみなす」ということでしょう?合唱業界でも、それは同じことですよね。しっかり審査員がいる前で、多くの団体が同じ条件で歌わされて優劣を競うというのがコンクールのはずです。そんな場所に、全く審査の対象にならないところが出てきて歌うことに、いったい何の意味があるというのでしょう。
 こういう不思議な制度に納得のいく解答を見つけようとした時にたどり着いたのが、こと合唱に関しては、「コンクール」という年中行事は、いわゆる「コンクール」とは似て非なるものだ、という結論でした。少なくとも、「一般」の部に関しては、これは決して「コンクール」などと呼んではいけないものなのですよ。だいたい、ここに厳密に「コンクール」の定義をあてはめてしまえば、それこそ「金賞」を取ったところはみんないなくなってしまって、そういう行事そのものが成立しなくなってしまいますからね。しかし、その「行事」は、なまじ「コンクール」のような形を取ってしまったばっかりに、音楽性ではなく、単に「技術」を極限まで磨く場ともなってしまったのでしょう。三澤さんのブログを、そのような観点から読んでみるのも、一興なのでは。
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by jurassic_oyaji | 2012-11-24 21:30 | 禁断 | Comments(0)