おやぢの部屋2
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DVORAK/Symphony No.9
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Claus Peter Flor/
Malaysian Philharmonic Orchestra
BIS/BIS-1856 SACD(hybrid SACD)




BISの品番の付け方が変わりましたね。今までは「BIS-SACD-○○○○」もしくは「BIS-CD-○○○○」だったものが、上のように「SACD」や「CD」が最後に来るようになりました。どうでもいいことですが、この方が並べたときには凸凹がなくなってきれいですね。というより、BISはこれで今までのようにCDSACDとをランダムに出していくという方針を、はっきり示しているのではないでしょうか。SACDに一本化すれば、こんなことをする必要もないのに。
リリースされたのはこの前の「8番」よりも後ですが、録音はこちらの方が2年ばかり前の2009年です。ただ、最近は正直に録音フォーマットを記載するようになったライナーによると、どちらも24bit/48kHzのPCMなのだそうです。SACDで出すのなら、ちょっとこれでは物足りないスペックですね。実際、時折SACDを聴いていて不満に感じられる弦楽器の質感が、ここではかなりスカスカに感じられてしまいます。ただ、同じレーベルで同じスペックのベルゲン・フィルの場合は、もっと高密度の音が楽しめているので、一概にスペックだけで左右されるものではないのかもしれません。現に、ショルティの「指環」(こちらはBDオーディオですが)などは、同じスペックでも全く不満は感じられませんからね。
録音データをもっと詳しく見てみると、「新世界」と、カップリングの「チェコ組曲」を録音したのが、2009年の8月、もう1曲、「わが故郷」序曲は翌年2010年の9月です。つまり、「新世界」などは、クラウス・ペーター・フロールがこのオーケストラの音楽監督に就任した最初のシーズンが終わったオフの時に録音が行われたことになりますね。
確かに、ここで聴かれる「新世界」には、なにか指揮者とオーケストラが完全には一体化していないもどかしさのようなものが感じられます。基本的に、このオーケストラは湿っぽい情緒といったものには無縁の表現でサラッと演奏しようとしているところを、指揮者がなにか「重み」を付けたくて小技を要求しているような気がするのですね。その結果、全体の流れがとても整合性にかけたような仕上がりになっているところが、なんとなく目についてしまうのです。
ただ、第1楽章などではそんなチグハグなところがあったものが、曲が進むにつれてそれほど気にならなくなっていきます。もしかしたら、指揮者がそんな流れを悟って、あまり抑えつけずに団員の好きなようにやらせようと思うようになって行ったのかもしれません。いや、これはあくまで憶測にすぎませんが。でも、第3楽章のスケルツォの軽やかさや、トリオののびのびとした歌い方などは、まさにオーケストラの自発性が満開という感じがしてしまいます。
フィナーレも、最初のファンファーレからして何の気負いもなく軽々と吹いているあたりは、金管奏者の余裕のようなものを感じてしまいます。そう思って聴いていると、このオーケストラのメンバーは、誰もいっぱいいっぱいになって演奏しているようなところはないのですね。がむしゃらにならなくても、あっさり弾けてしまうような名手の集まりなのでしょうから、すべてのフレーズが「余裕」にあふれているように感じられます。
「チェコ組曲」も、そんな意味で、臭さたっぷりの「民族性」などは全く見当たらない、スマートさにあふれています。それでいて、しっかりドボルジャークらしさは感じられるのですから、これは恐るべきことです。もちろん、甘ったるいところなんかはありません(それは「チョコ組曲」)。
その1年後に録音された「わが故郷」では、後半の生き生きとした部分で、そんなオーケストラにだいぶ指揮者が馴染んできたことがうかがえるような、もはやなにも迷わずに突進する潔さが現れているのではないでしょうか。
とは言っても、「8番」のようにさらに伸びやかな演奏になるまでには、もう少し時間が必要だったのかもしれませんね。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2012-11-29 19:40 | オーケストラ | Comments(0)