おやぢの部屋2
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Coloratura
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Anu Komsi(Sop)
Sakari Oramo/
Lahti Symphony Orchestra
BIS/BIS-1962 SACD(hybrid SACD)




「コロラトゥーラ」という、そのものズバリのタイトルで迫るフィンランドのソプラノ、アヌ・コムシの最新アルバムです。こちらは2011年の秋に録音されたものですが、フォーマットはしっかり24bit/96kHz、前回のドヴォルジャークも録音機材は同じDAWですから、コスト的には何の影響もないはずなのに、なぜ48kHzだったのでしょう。
そんなフル・スペックで展開されるコロラトゥーラは、とても生々しいものでした。時折、飽和寸前のレベルで録音されているところが出てきますが、そんなところでもしっかり、まるでアナログ録音のような「破壊感」が現れているぐらいですからね。
最初に入っているのが、グリエールの「コロラトゥーラ・ソプラノとオーケストラのためのコンチェルト」です。この曲は、かつてネトレプコがテレビで歌っているのを聴いて、この曲と、それを歌っていた人にすっかりハマってしまったという思い出があるので、つい、その時のネトレプコの強靭な歌い方を期待してしまいますが、コムシのアプローチはもっと穏やかなものでした。これはこれで、なにか包み込むような魅力にあふれていて素晴らしいものです(それにしても、あの頃のネトレプコはどこへ行ってしまったのでしょう)。ただ、後半の、それこそ「コロラトゥーラ」で迫る部分では、ことさらにテクニックは強調しない淡々とした歌い方なので、華やかさを期待している人には物足りないかもしれません。
確かに、続くトマやドリーブ、そして有名なアリャビエフの「ナイチンゲール」なども、名人芸で圧倒するという例えばグルベローヴァのようなインパクトはありませんから、「まあ、こんなものなのね」という感じがあるのは事実です。
しかし、その次の、あまりに有名なモーツァルトの「夜の女王のアリア」では、別の面で圧倒されることになります。単なる声によるアクロバットのような印象の強いこの曲に、コムシは全く別の意味を持たせていたのです。それは、「言葉」の重さを強調すること。冒頭の「Der Hölle Rache kocht in meinem Herzen」というフレーズの「 kocht(煮えたぎる)」という単語に込めたモーツァルト(シカネーダー?)の意志の強さをこれほどまでに感じさせてくれる演奏には、いまだかつて出会ったことがありません。メインのコロラトゥーラでも、後半の三連符のあたりからいきなりシフトアップして猛烈な勢いで疾走するというような表現も、とても斬新です。
最後の、シベリウスのソプラノとオーケストラのための交響詩「ルオンノタール(大気の精)」は、「コロラトゥーラ」とは無縁の、深遠な世界がたまりません。
そして、その前に入っているのが、恐らくこのアルバムの目玉であろう、この録音の直前に初演されたばかりの、彼女のために作られたモノドラマ「存在の機械」という、聴きごたえのある作品、そして演奏です。コムシは、このような「現代作品」に関しては、スペシャリストとして認められている人なんですね。この作品は、クラシックの作曲家ではなく、ジョン・ゾーンというジャズのサックス奏者として知られているミュージシャンの手になるものです。ゾーンはこのように「前衛的」な作曲活動も幅広く手掛けているということですが、実際に聴いたのはこれが初めてです。3つの部分から成るこの作品、最初の部分ではほとんどシェーンベルクのような、時代遅れの無調の世界が広がっていたのにはちょっとひるんでしまいましたが、あのような無機的な音列を使っているのに、何か肉感的なものが感じられるのは、ひとえにコムシの豊かな表現力の賜物でしょう。最後の部分などは、ほとんど「よがり声」のような、エロティックなものです。バックのオーケストラの緻密な演奏(即興ではなく、きちんと記譜されているのでしょう)も、刺激的です。
指揮をしているのは、彼女のパートナー、サカリ・オラモ、こんな曲でサカリがついたら、どうするのでしょう。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2012-12-01 22:37 | オペラ | Comments(0)