おやぢの部屋2
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FAURÉ/Requiem
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Gordan Nikolitch(Vn)
Grace Davidson(Sop), William Gaunt(Bar)
Nigel Short/
Tenebrae
London Symphony Orchestra Chamber Ensemble
LSO LIVE/LSO0728(hybrid SACD)




ロンドン交響楽団のレーベルのLSOのコンサートの録音ですが、今回のメインはオーケストラではなく合唱でした。前半では、かつてECMからリリースされたクリストフ・ポッペンとヒリヤード・アンサンブルの「Morimur」というアルバムと同じコンセプト、ドイツの音楽学者ヘルガ・テーネ女史の、「バッハのシャコンヌは、前妻のマリア・バルバラの死を悼むもの」という学説に基づく、そのヴァイオリンのための無伴奏パルティータBWV1004の終曲と一緒に、合唱がそこに「隠されて」いたコラールを歌うという趣向が、まず紹介されています。
ここでは、コンサートマスターのニコリッチが、そのシャコンヌを含むパルティータを演奏、そして、後半のフォーレではオーケストラのメンバーから成るアンサンブルが、合唱のバックを務めています。
指揮をしているのは、ナイジェル・ショート。カウンター・テナーとして、イギリスの多くの合唱団に参加、1994年から2000年までは、「キングズ・シンガーズ」のメンバーとしても活躍していた、あのショートです。「シンガーズ」脱退後2001年に指揮者としての道を歩みだし、その際に創設した合唱団が、ここでも演奏している「テネブレ」です。
前半の「テーネ版」バッハの「シャコンヌ」がニ短調で終わったところで、アタッカでいきなりオルガンとオーケストラで同じニ短調のアコードが響き渡ります。これが、フォーレの冒頭の和音、曲はそのまま「レクイエム」になだれ込みます。ここで、バッハからフォーレという200年近くのスパンがいとも楽々と乗り越えられたと感じられたのは、共に「死を悼む」という意志が込められた曲だという意味がしっかり伝わって来たからなのでしょう。あるいは、サウンド的に、バッハの音楽には不可欠なオルガンのペダル・トーンが、フォーレになって初めて響き渡ったからなのかもしれません。
そう、ここで使われている版は、ジョン・ラッターが校訂した1893年稿に基づくものなのですが、そのオーケストラの編成は楽譜に記載されている「無くてもよい」という指示を忠実に守った、最小限の楽器によるものだったのです。元の編成からトランペット、ファゴット、ティンパニがなくなった分、相対的にオルガンの比重が高まることになったのでしょう。
この編成でのラッター版を聴くのは初めてです。というか、恐らく演奏される機会(つまり、楽譜が売れる機会)を増やすためでしょうが、楽譜に堂々とこのような省略の指定があったことも、初めて気が付きました。常々、同じ1893年稿でも、もう一つのネクトゥー・ドラージュ版との違いがあまりにも大きいので、ちょっと胡散臭いところのある版だとは思っていたのですが、このような扱いを見つけて、改めてその「疑惑」は強まります。
「テネブレ」は、ソリストのパートもメンバーが歌っているという超ハイテク合唱団です。今までありそうでなかなか聴く機会がなかったイギリスの精鋭メンバーの集まった少人数でのフォーレは、そのソリストも含めて完璧な演奏を聴かせてくれました。何よりも全く迷いのない精密なピッチには驚かされます。例えば、「Agnus Dei」の中ごろ、テナーのパートソロが「sempiternam requiem」とハ長調で終止した後で、ソプラノパートだけが「Lux」と「ハ」の音を伸ばしているうちに、突然変イ長調に変わるという、この曲の中で最も美しい瞬間を演出するために、ソプラノはその「ハ」の音をほんのわずか低めにとっているのですね。この音はハ長調では根音ですが、次の変イ長調では第3音になるので、このピッチだととても美しく響くことを、計算しているのですよ。
フルヴォイスの時にちょっと明るめになるのが、このコンサートの「死を悼む」というコンセプトにわずかに背いているかな、と思えるだけ、そんな制約がなければ極上のフォーレの「レクイエム」です。ステーキにしたら、美味しいでしょうね(それは「極上フィレ」)。

SACD Artwork © London Symphony Orchestra
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by jurassic_oyaji | 2012-12-07 19:52 | 合唱 | Comments(6)
Commented by あ! at 2012-12-16 22:51 x
(1)
フォーレのレクイエムのページなども含めて、興味深く拝見させていただきました。
少し気になったことがあるのでコメントさせていただきます。
ちょっと声楽(合唱)をかじった程度の人間の意見ですので参考までに。


>この編成でのラッター版を聴くのは初めてです。というか、恐らく演奏される機会(つまり、楽譜が売れる機会)を増やすためでしょうが、楽譜に堂々とこのような省略の指定があったことも、初めて気が付きました。

個人的な見解ですが、私はラター版を特定の機会で演奏されたバージョンの復元を想定したものでではなく、いうならば成立過程の復元を目指したものと理解しています。
省略可能な楽器は初演(1888年1月)後に追加された楽器が中心であり、それ以外のものについても、マドレーヌ寺院に専属の奏者がいなかった、もしくは出番の少ない楽器が省略されることもあったという可能性を想定しての判断と思われます。つまり、演奏機会によってはさまざまな編成で演奏されることがあったという想定に基づいているのではないでしょうか。つまり、演奏機会を増やすという目的で省略可能な楽器を設定したわけではないと思います。
Commented by あ! at 2012-12-16 22:52 x
(2)
「演奏機会を増やすため」との発言は、おそらく1900年版の成立に関して出版社の意向が強く反映されており、フォーレ自身の意図とは全く違う形で出版されてしまったという、ネクトゥー氏の説をふまえての発言かとお見受けします(もちろんここで問題としているものとはまったく別物ですが…)。しかし、この説については十分な論拠があるとは言えません。実際にはフォーレ自身はこの1900年版の成功を喜んでいたようですし、演奏に際して具体的に助言を与えているなどしています。これはネクトゥー氏の著書にも示されている通りです。


>同じ1893年稿でも、もう一つのネクトゥー・ドラージュ版との違いがあまりにも大きいので、ちょっと胡散臭いところのある版だとは思っていた

これについては「復元」の前提となるこの曲の成立過程の理解が異なるという背景をもう少し考慮する必要があるように思います(もちろん、基にしている資料の違いもありますが)。
Commented by あ! at 2012-12-16 22:53 x
(3)
ネクトゥー氏は1893年段階でほぼ完成していたと考えているようですが、実際には2曲目が完全な形で初演されたのは1894年です(ネクトゥー氏の旧説では)。しかしこの説に関しても裏付けはほとんどありません。1894年の演奏の前に「写譜屋の追われていた」という状況証拠があるのみであり、新たな部分(2曲目の合唱部分)が付け足されたものか、新たな楽器が付け足されたものか、確たる証拠はなかったと思います。確かなのは1900年段階では現在の形の2曲目が演奏されたということだけです。
つまり、ラターは1888年版から連続的に(他人の手による部分があるにしても)1900年版へつながっていったと考えているのに対し、ネクトゥーは1893年(もしくは正確には1894年?)に完成していたものを、出版社の意向によって半ば強制的にフルオーケストラ版(1900年版)がつくられたと想定しているわけです。しかし、これには前述のとおり、十分な論拠があるわけではなく、むしろラターの理解のほうが残された資料をよく説明しているように感じます。

このCDの演奏形態に関して言えば、マドレーヌ寺院での「現実的な」演奏形態を選択(復元)した結果であるということも可能であると思います。
Commented by あ! at 2012-12-16 22:54 x
(4)
逆に、1888年初演版から1900年のフルオーケストラ版までが連続的につながるというラター版の立場にたてば、ネクトゥー版(1893年版)での、フォーレ自身が校正をおこなっているヴォーカルスコアよりも、間違いやその後の変更点が潜んでいる可能性もある自筆のスコアやパート譜を重視するという方針は、まったく不可解なものとなります。

また、ネクトゥー版自体の問題も存在します。
ネクトゥー氏はオリジナルのパート譜に存在している楽器の一部(ファゴットなど)を削除しています。ほかにも5曲目のハープがオリジナルのスコアでは上から消されているのに、ネクトゥー版では残されている理由について、十分な検討がなされているとは思えません。このような部分はほかにもいくつか見られます。
だからといってラター版が良いかといえば必ずしもそういうわけではないですが…
ラターの想定するように1900年版が1888年初演版と連続するものとすれば、ラター版の存在意義自体が危うくなります。とすれば、ラター版は演奏用というよりも研究用として考えるべきでしょうか。
Commented by あ! at 2012-12-16 22:54 x
(5)
いずれにせよ、どちらの版も注意が必要ということだと思います。

CDのレビューとはほとんど関係ないところで、また、偉そうなことばかり言って申し訳ありません。

長文失礼しました。
Commented by jurassic_oyaji at 2012-12-16 23:48
貴重なご意見、ありがとうございました。