おやぢの部屋2
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ワーグナーのすべて
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堀内修著
平凡社刊(平凡社新書668)
ISBN978-4-582-85668-2



さあ、ワーグナーの生誕200年です。しかもなんと没後130年という「キリのいい」年でもあるのだそうです。一体どこがキリがいいのか分かりませんが(普通は「125年」あたりがキリ年でしょう)今年1年はワーグナー好きにはたまらない年になることでしょう。
そんな、ワーグナーが好きでたまらない人たちのことを、「ワグネリアン」と言いますが、最近はそんな言葉はもはや使われることはないのだ、というようなショッキングな記述が登場するのが、この堀内センセーの最新の著作です。やはり「つぶ」より「こし」の方が良いのでしょうか(それは「練り餡」)。ちょっと受け入れ難い言及ですが、なにしろワーグナーに関しての最新の情報が網羅されているのですから、仕方がありません。
ここでセンセーが最も力を込めて書いているのは、ワーグナーの作品の「舞台芸術」としての姿ではないでしょうか。同じ舞台芸術である演劇が、単に台本だけがあっても実体としての存在がないように、オペラに於いてもスコアがあっただけでは実体をなさず、それは「上演」されてこそ意味をなすものだと真剣に考えたのがワーグナーなのだ、という観点から、センセーは特に演出についての考察を詳しく行っています。そして、現代における大胆な「読み替え」による演出の必然性についても、深い洞察力で解明してくれます。
その過程で、やはり一つの時代を築いた演出家として、戦後バイロイトにおけるヴィーラント・ワーグナーの名前が挙げられているのは、普通の「ワーグナー本」であれば至極当然のことでしょう。しかし、最近の研究では、その「新バイロイト様式」と呼ばれる演出プランの誕生には、ヴィーラントの妻のゲルトルート・ライシンガーの方がより関わっていることが明らかになっています。そのことについての言及が全く見当たらないのが、「最新」のワーグナー本としては物足りないところです。
そして、それぞれの作品についての詳細な解説が入ります。この部分だけでもワーグナーのガイドとしては十分なぐらいの、必要なことはすべて盛られている部分です。さらに、味気ない解説だけではなく、そこにそれぞれの作品についてのセンセーの思い入れ、というか、長年ワーグナーの上演に立ち会ってきたセンセーでなければ決して語ることのできない薀蓄が述べられます。そこで、先ほどの新しい演出について、それぞれの作品ごとの「各論」が展開されています。例えば「パルジファル」では、最初は門外不出の「秘曲」であったものが、最近の演出では様々な解釈が可能なもっと「面白い」ものに変わってきている、といったように、ワーグナーに対する聴衆の受容のあり方自体が変わってきているのだ、といった指摘です。これには確かに納得できる部分と、多少先走りしているのではないか、という部分が見られますが、まあこのあたりは主観が大きく物を言う世界ですから、甘んじて受け入れることにしましょう。
そして、さきほどの「『ワグネリアン』はもはや死語だ」という、大胆な指摘の登場です。もはやワーグナーの作品のキーワードであった「無限旋律」や「ライトモチーフ」といった概念を気にかけなくとも、ワーグナーを楽しめる時代になっているのでは、というのがその根拠です。あるいは、演奏家や歌手は、ワーグナーにもイタリア・オペラにも同じように接するようになっていて、ワーグナーだけを演奏するような専門家はほとんどいなくなっているのだ、とも。もしかしたら、それは正しいことなのかもしれません。何しろ、今ではクラウス・フローリアン・フォークトのような甘ったるい声の持ち主が、「ワーグナー歌手」として「のさばる」ことを聴衆が許している時代なのですからね。確かに、彼の登場によって、「ワグネリアン」の牙城がもろくも崩れ去ったことだけは、認めざるを得ません。

Book Artwork © Heibonsha Limited, Publishers
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by jurassic_oyaji | 2013-02-12 20:31 | 書籍 | Comments(0)