おやぢの部屋2
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武満徹全合唱曲集
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山田和樹/
東京混声合唱団
EXTON/OVCL-00488(hybrid SACD)



武満徹の「合唱曲」は、全部集めても1時間ちょっとしかないんですね。ですから、SACDたった1枚で「合唱曲全集」が出来てしまいます。帯の日本語表記は「全合唱曲集」ですがね。
武満が「現代音楽作曲家」だった頃には、合唱曲はこの半分もありませんでした。アルバムの最初に入っている初期の作品「風の馬」は、決して普通の「合唱人」にとっては魅力的なものではありませんでした。いや、そのような「現代音楽作曲家」たちに新しい作品を委嘱して、それを演奏会で初演する、というのが、ここで歌っている東京混声合唱団の「使命」だった時期があったのですね。その「委嘱」という言葉は、現在多くの合唱団で日常的に行っているものとは微妙に肌触りが異なっていたことを理解できる人は、少なくなってしまいました。
個人的なことですが、実際にこの合唱団の定期会員になっていたことがあり、毎回定期演奏会のあとには、演奏会のライブ録音(カセットテープ!)と、そこで委嘱初演された曲の楽譜が送られてきました。それは、まさに初演の時に使われた作曲者の手書きの楽譜をコピーして製本したものです。それは膨大な数にのぼりましたが、今となっては普通の合唱団によって演奏されているものは皆無です。高橋悠治の「組曲千里塚」なんて、どうなってしまったのでしょう。
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そんな中で、きっちり出版された楽譜として届いたのが、武満徹の「うた」でした。東混は演奏会のアンコールとして、小さな曲を武満に編曲してもらったものを歌っていたのですが、それがある程度まとまったので、このような形で送ってきたのですね。今は「全音ショット」から黄色い表紙で出ていますが、その頃は「全音」から出版されていました。しょっと違います。このアルバムのブックレットには、故岩城宏之がこの印刷楽譜を使ってリハーサルを行っている写真があります。ということは、初演される前にすでに出版されていた、という、かなり稀な状況にあったのですね。武満は。これも、現在「大漁歌いこみ」が初演の前に出版されるのとは、微妙に肌合いが違っています。
そんな、自らの委嘱による曲だからと言って、東混が歌っているこのSACDに対してはなんの期待も持っていませんでした。かつてのこの合唱団のイメージは、いかにもソリストになり損ねた声楽家の集まりのようでした。確かに、初見で難しい楽譜をスラスラ読む能力には驚異的なものがありましたが、その成果は一人一人の声ばかりが目立つ、「合唱」には程遠いものでした。
このアルバムでも、最初に入っている「風の馬」やキングズ・シンガーズの委嘱で作られたという「手づくりの諺」などは、とても聴いていて楽しめるような代物ではありませんでした。それが、後半の「うた」が「小さな空」で始まったとたん、そこには殆ど奇跡とも言っていいほどの音楽が広がっていたのです。それぞれの声は完璧に混じり合い、まさに一つの「流れ」として動いています。もう、どのパートがどうのといったような些末なことはそこからは消え、うねるような「流れ」はまるで生き物のように「音楽」を紡ぎだしているのです。
これらの曲は、何度となく他の合唱団で歌われてきたちょっとした「明るさ」を感じさせるものではありません。その代わり押し寄せるのは、極限までのピアニシモに支えられた、とてつもない緊張感です。「死んだ男の残したものは」のエンディングの超ピアニシモに圧倒されない人はいないでしょう。
これこそが、武満が聴かせたかった音楽だったのでは、と、完全に納得させられる演奏、それは間違いなく、楽譜の隅々まで読みこんで、それをきっちり「音」にした山田和樹の功績です。
もちろん、そんな生々しさが伝わってくるのは、SACDレイヤーを聴いた時だけです。CDレイヤーのなんとも平面的な音からは、山田が仕掛けた立体的な音楽は聴こえてきません。

SACD Artwork © Octavia Records Inc.
by jurassic_oyaji | 2013-02-21 20:36 | 合唱 | Comments(0)