おやぢの部屋2
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TSCHAIKOWSKY/Symphonie Nr.2, Rokoko-Variationen
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Leonard Elschenbroich(Vc)
Dmitrij Kitajenko/
Gürzenich-Orchester Köln
OEHMS/OC 669(hybrid SACD)




「マンフレッド」を含めてのチャイコフスキーの交響曲ツィクルスが進行中のキタエンコとケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるSACD、第5弾は「2番(小ロシア)」です。今までの1、5、6、マンフレッドは聴いていませんが、なかなか評判が良いので、これを買って聴いてみることにしました。まず、SACDだという点が高ポイントになりますからね。
その音は、期待どおりでした。SACDならではの粒の立った楽器の音がそちこちから聴こえてきますし、何よりも弦楽器の瑞々しさは格別です。そして、スケールの大きな音場、例えば第4楽章の序奏の最後に現れるバスドラムの強打には、度肝を抜かれてしまうはずです。今まで数多くのSACDを聴いてきて、期待を裏切られたことの方が多かったような気がしますが、これは間違いなく「当たり」でした。
そして、キタエンコの指揮も、こちらは予想していたのとはちょっと異なって、とてもスマートな仕上がりにびっくりです。第1楽章は、スペクタクルな楽器群を縦横にさばいて、とてもカラフルな音響を引き出していますが、演奏自体はどっしりと腰の据わった堅牢なものです。それは、ロシアの指揮者だからといって何か土臭いものを感じさせるものでは全くなく、もっと音楽としての堅牢さを前面に出したもののように思われます。
第2楽章は、ゆっくり目のテンポで、とても慈しみ深い世界が広がります。弦楽器の音色がとても暖かいのが印象的で、このかわいらしいテーマのキャラクターがふんわりと伝わってきます。
第3楽章では、「スケルツォ」というイメージを覆すような、もっと重みのある大きな力に支配された音楽が聴かれます。フィナーレはまさに圧倒的、ちょっと「展覧会の絵」に似ているロシア民謡のテーマと、もう一つのとぼけた味のある民謡とが複雑に絡む様を見事にコントロールして、極上の高揚感を作り上げています。
録音はライブではなく、スタジオでのセッションでした。理想的なマイクのセッティングが可能な中、きっちりと作り上げられた音響が、非常に心地よいもの、考え抜かれた演奏と相まってとても完成度の高いアルバムであるという印象が伝わってきます。
ところが、カップリングの「ロココ・ヴァリエーション」になると、音がガラリと変わって、なんともあか抜けないものになっていました。ソリストのエルシェンブロイヒは、とても繊細な演奏を聴かせているのですが、その音がなんとも繊細さに乏しく輝きがないのですね。録音データを見ると交響曲と変奏曲とでは、会場は一緒ですがエンジニアと、そして日にちが違っています。ただ、エンジニはが誰がどの曲の担当かは分かるのですが、「2009年8月」と「2012年3月」という2種類の表記が、どの曲についてのものかは分からないのです。
そこで、どこか別のところで正確なデータが得られないかと、NMLを見てみたら、そこには確かに曲ごとのデータが書いてありました。しかし、これはこのアルバムのブックレットのデータとは全然違います。調べてみたら、これは、2010年にリリースされた「マンフレッド」のデータではありませんか。相変わらずいい加減なNAXOSなのでした。
そもそもNMLをあてにしたのが間違いだと気づき、別の方向からリサーチを試みます。すると、同じレーベルの同じ演奏家で、やはり音が全く違っていたものがあったことに気づきました。それは、シュテンツがやはりケルン・ギュルツェニヒを指揮している「復活」「千人」です。それぞれ2010年の10月と2011年9月に、同じ会場で同じエンジニアによって録音されていますが、その音は「雲泥の差」でした。この1年の間に、きっと何かがあったのでしょう。
ですから、今回のアルバムでは、絶対「小ロシア」が2012年、「ロココ」が2009年だと思うのですが、どうでしょうか?もし間違っていたら、もっと耳を鍛えんと

SACD Artwork c OehmsClassics Musikproduktion GmbH
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by jurassic_oyaji | 2013-03-22 20:28 | オーケストラ | Comments(0)