おやぢの部屋2
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MOZART/Flute Quartets
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菅きよみ(Fl)
若松夏美(Vn)
成田寛(Va)
鈴木秀美(Vc)
Arte dell'arco/ADJ-035




バッハ・コレギウム・ジャパンやオーケストラ・リベラ・クラシカといった、日本を代表するピリオド楽器の演奏団体で活躍している4人の日本人奏者による、モーツァルトのフルート四重奏曲です。モーツァルトの時代には、現在使われているようなフルートはありませんでしたから、最近ではこのように同じ時代に存在していた楽器を使った演奏もよく行われています。ただ、かつて、この「フラウト・トラヴェルソ」というピリオド楽器の演奏家たちがこぞって録音した頃は、なにか物珍しさのようなものが付きまとっていたような気がします。なにしろこの曲のモダン楽器による演奏は、かつてNHK-BSのクラシック音楽の番組のテーマ曲に使われていたり(あれはゴールウェイの演奏ですね)、街中のBGMなどでよく流れていたりしますから、知らず知らずのうちに耳にしているはずで、その音色が刷り込まれている人にとっては、ピリオド楽器の演奏はとても違和感があったのではないでしょうか。
しかし、時代は変わり、最近は交響曲などではモダン・オーケストラで聴く方がかえって違和感があったりはしませんか?ですから、このようなピリオド楽器による室内楽も、すんなり聴けてしまう土壌は育っているのではないでしょうか。今回の菅さんのトラヴェルソを聴いていると、この曲の持っているサロン風の優雅なたたずまいが、ふんわりと体を包み込んでくれるような気持になって、とてもリラックスできました。というか、細かい音符が連続しているスケールなどが、モダン楽器がある種の高圧的なヴィルトゥオーシティを感じさせてくれるのに対して、トラヴェルソによる同じパッセージにはいともコロコロとした「かわいらしさ」があることに気づかされるのですね。これが「ピリオド」の効用。モーツァルトの時代の空気まで伝わってきて(本当かどうかはさておき)、なかなかいいものです。
ところで、ライナーノーツの中で鈴木さんが、使われた楽譜について言及されていました。ここでは、通常用いられるベーレンライターの新全集版ではなく、1998年にヘンリック・ヴィーゼによって校訂されたヘンレ版で演奏しているのだそうです。そこで実際に挙げられているハ長調(K.Anh.171)の第2楽章の第4変奏後半での違いを確かめてみると、確かにフルートとユニゾンになるのは今までのベーレンライター版のヴァイオリンではなく、ヘンレ版のヴィオラの方が理にかなっているような気がします。その箇所ではフルートの1オクターブ下を弦楽器が演奏しているのですが、ヴァイオリンでは最低音のF♯が出せないので、その部分で1オクターブ高く弾かなければいけなくなってしまいますからね。ただ、これは楽譜を見ながら聴いても、ほとんど違いは分かりませんでした。
それよりも、この楽譜にはもっとはっきりベーレンライター版との違いが分かる個所があります。それは、二長調(K.285)の第2楽章のBメロ、18小節と19小節の間にあるタイの有無です。
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ベーレンライター版ではこのようにタイが入っていますが、今回の演奏でははっきりタイを外しています。確かにヘンレ版の楽譜では「タイなし」になっています。
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なんのことはない、これは旧全集と同じ形です。
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つまり、1962年にベーレンライター版が出版されるまで、いや、それからかなりたった時点でも、世のフルーティストはすべてここを「タイなし」で演奏していたのです。しかし、いつしかこの原典版による「タイあり」は浸透して、最近ではまず「タイなし」の演奏に出会うことはなくなりました。おそらく、CD時代になってから録音されたものはほとんど「タイあり」なのではないでしょうか。
しかし、せっかく世の中が「タイあり」に落ち着いたと思ったら、今度は「タイなし」ですって。なんともややこしいことをやってくれたもの、これで、今までの演奏は台無しになってしまいます。

CD Artwork © Arte dell'arco
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by jurassic_oyaji | 2013-05-17 21:34 | フルート | Comments(0)