おやぢの部屋2
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今のピアノでショパンは弾けない
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高木裕著
日本経済新聞出版社刊(日経プレミアシリーズ
190
ISBN978-4-532-26190-0



3年ほど前に刊行された高木さんというピアノ調律師の方がお書きになったの、言ってみれば「続編」とでも言うべき新刊が出ました。前の本ではピアノの調律について、今まで全く知らなかったことを教えていただきましたから、今回もエキサイティングな語り口を期待しましょうか。なにしろ、こんなショッキングなタイトルですから、さぞや刺激的な内容なのでしょうから。
正直、そのタイトルに関しては期待したほどのものではなく、単なるこけおどしだったのには、ちょっとがっかりしてしまいました。ショパンの時代と現代とでは同じピアノといっても全く違うものだということぐらいは、そういうCDがいくらでも出ているので知っていましたから、「今のピアノは、ショパンが弾いたピアノとは別物」という意味でこういうタイトルを付けたのだとすれば、なんとも底の浅い発想のように思えてしまいます。
ところが、タイトルだけではなく、本文でも前の本に書かれていたこととなんら変わりのない主張が羅列されるのを見てしまうと、ちょっと疑問がわいてきます。いや、確かにここで(というか、前作で)述べられている「良心的な調律をしたければ、ホールに備え付けの楽器を使うのではなく、自ら納得のいくまで調律した楽器を運びこむべきだ」という主張は、間違いなく正論なのですが、それを、こんなに短いスパンで繰り返すことによって、逆に真実味が薄れてしまうことが、他人事ながら心配になってしまいます。
おまけに、このあたりでは例えば「ラプソディ・イン・ブルーでは、100人を超えるオーケストラが使われた」とか、「チェンバロは大きな音は出せても小さい音は出せない」といった、なんだかなぁというような記述がみられて、さらにがっかりさせられてしまいます。
前作の冒頭を飾っていた、ホロヴィッツが来日した時に、たまたまホテルに置いてあったので弾いてみたらとても気に入ったという古いスタインウェイのエピソードも、やはり今回も同じような興奮気味の筆致で語られています。そのピアノを筆者が手に入れ、それならばその楽器を、かつて演奏されていたカーネギー・ホールに持ち込んで自ら調律し、それを録音しようということになって、実際にCDも制作されたという話ですね。ただ、その時にいったい誰が演奏を行ったのかは、前作には書かれていなかったので、今回こそはそのあたりの具体的な演奏者や曲目などもきちんと知ることができるのでは、と思ったのですが、やはり「カーネギーで録音」としかありませんでした。確かに、このCDが出たときにはかなり話題になったはずですから、筆者としてはことさら述べる必要はないと思っていたのかもしれませんが、この新書の読者層を考えれば、それはかなり不親切な扱いのような気がします。あるいは、ご自分では、ちゃんと書いていたと思い込んでいたとか。確かに、別のところに唐突にそのピアニストは登場していますがね。
と、何か肝心のことが抜けているようで焦点が定まらない本なのですが、最後のあたりでホロヴィッツが自分の楽器として世界中のコンサートで使っていたピアノを筆者が手に入れる、という、ごく最近のエピソードになったとたん、今まで読んできたものはいったいなんだったのか、と思ってしまうほどの、息もつかせぬほどの迫力が出てきたのですから、驚いてしまいました。それはまるで上質のミステリーを読んでいる時のような興奮を誘うものでした。ここには、まさにそのスタインウェイ自身が波乱の「生涯」をたどった挙句に、幸せなエンディングを迎えるという、涙さえ誘いかねない感動的な物語がありました(主人公はスタイルいい)。おそらく筆者は、これを書きたいがために、前作の二番煎じをだらだらとやっていたのでしょう。

Book Artwork © Nikkei Publishing Inc.
by jurassic_oyaji | 2013-07-22 20:32 | 書籍 | Comments(0)