おやぢの部屋2
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ヨハネ受難曲
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 きのうは、バッハの「ヨハネ受難曲」を聴いてきました。生でちゃんとした「ヨハネ」を聴くのはこれが2回目になるのでしょうか。その、最初にまともな「ヨハネ」を聴いたのは2008年、その時に演奏前の「プレトーク」で、この間お亡くなりになった川端純四郎さんがなさった「稿」に関するお話は、当時の私にとっては衝撃的なものでした。なんせ、その頃は「新全集版」の他に「第2稿」というものがあるぐらいのことしか知らなかったのですから、川端さんの多くの「稿」が作られることになった背景までも交えたお話は、まさに目からうろこが落ちる思いでした。それがきっかけで、こんなページまで作ることになってしまったのですがね。
 きのうの「ヨハネ」でも、パンフレットには詳細な「プログラムノート」が載っていて、その中で当然この「稿」に関する解説も述べられていました。しかし、どうもその解説は、書いている人が最新の情報に疎いのか、どこからか集めてきた情報を無批判に並べただけだからなのかは分かりませんが、かなりいい加減なものでした。まあ、こんな優に4000字はあろうかという解説をきちんと読む人などほとんどいないのかもしれませんが、中にはこれを読んで真に受ける人がいないとも限りません。あるいは、これをそのままネットに流したりもするかもしれません。そうやって間違った情報がいつの間にかさも本当のことであるかのように扱われてしまっていることは、WIKIなどでは日常茶飯事です。本当に困ったものです。一番まずいのは、「4度目の上演のときには、初稿の第1曲から第10曲までに少し手を入れただけで、結局これが最終稿になった」という部分です。実際、かなり高名な音楽学者と呼ばれている人でも、同じような過ちを犯しているのですから無理もないのかもしれませんが、「4度目の上演」の時に使われた、「第4稿」と呼ばれている楽譜は、「最終稿」とされている楽譜とは全く別物なのですよ。確かにバッハはこの上演よりだいぶ前に「最終稿」とすべく新たなスコアを作り始めますが、それはある事情で中断、そして、この「4度目の上演」のときに、コピイスト(今では名前もちゃんと分かっています)に残りの部分を第1稿から写譜させて、一応スコアは完成させます。しかし、実際に演奏に使われたパート譜はそのスコアから作られたものではなく、第1稿のパート譜に少し手を入れたものだったのです。それが「第4稿」なのですね。つまり、その「最終稿」は、バッハの生前には1度も「音」にはなっていないのです。というか、そのスコアが元になっている「新全集」でも、バッハ自身が「最終稿」と考えていたのは10曲目の途中まで、本当は残りもきちんと仕上げたかったのでしょうが、結局それをやり遂げる時間は、バッハには残ってはいなかったのです。この件の詳細はこちら
 きのうの演奏では、楽譜は新全集版が使われていました。通奏低音にはポジティブオルガンが用いられており(演奏は今井奈緒子さん!)さらにコントラファゴットが加わっています。これも、最近のCDでは良く見られる使い方です。もちろん、ヴィオラ・ダ・ガンバはいまどきチェロで弾くところはまずありませんし、19番のアリオーソと20番のアリアのためにリュートが用意されているのも、嬉しい配慮です。
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 指揮者は、この前ヴェルディでご一緒したO先生、ヴェルディのときのことを思い出してハラハラしながら聴いていましたが、合唱の入りでちょっと怪しげな指示だったので合唱がつい飛び出したという「事故」を除けば、ほとんど「奇跡」とも言っていい演奏だったのではないでしょうか。そういう「魔力」を、O先生は持っているのでしょうね。
by jurassic_oyaji | 2013-07-29 21:22 | 禁断 | Comments(0)