おやぢの部屋2
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祝五輪開催決定
 2020年に東京でオリンピックが開かれることが正式に決定したことにより、私は生涯で、もしかしたらオリンピックを2度体験できるかもしれないことになりました。とは言っても、その2度目は7年後、それまで生きていることが出来るかどうか。
 でも、1回目のときと今回では、オリンピックに対する期待の様相がかなり異なっていることは感じられます。とは言っても、前回のときはまだ子供でしたし、今ほどの情報がもたらされる環境にはありませんでしたから、実は正確なことはよくわからないのですが、まわりの大人たちはとても素直に開催を喜んでいた、という印象はありましたね。要は、オリンピックという「競技」が行われることを、みんなが喜んでいたのですね。運動会が始まる日を、楽しみに待つ、といった感じでしょうか。
 そして、本番になったら、生活はオリンピック一色になっていました。なんせ、開会式の日が「休日」になってしまったぐらいですからね。まさに国を挙げての「お祭り」が始まったのです。学校に行っても、授業なんかは行わないで、日本人が活躍する種目のテレビ中継を、教室にあったテレビで全クラスの人が見守りました。そう言えば、そのテレビはオリンピックに合わせて、全クラス分新しく購入されたものでしたね。なんだか、教育番組を授業に使うことが目的で買う、みたいなことを言ってても、結局使われたのはオリンピック中継を見る時だけだったような気がしますね。オリンピックを見たいために買うのに、なんでそんなあり得ないような理由を考えたのか、その時は不思議に思いましたが、今にして思えば、それが「世の中」ってやつだったのですね。
 今回オリンピック開催が決まったことで一番多く使われている言葉は「経済効果」ではないでしょうか。この言葉、いつ頃から使われるようになったのかなんて、私に分かるわけはないのですが、少なくとも前回のオリンピックの時にはまだ生まれてはいなかったような気がします。確かに、突貫工事で新幹線を走らせたり、高速道路やホテルを作ったりしてはいましたが、それはあくまでこの大運動会を成功させるために必要だから、みんな頑張っているのだな、という、きちんと納得のいく理由が感じられたような気がします。
 ところが、今回はまず第一に「経済効果」です。意味は分からないけれど、これさえ持ちだせば、誰も文句は言えないしどんなことでも許されるという、不思議な言葉です。正確なことはもちろんわかりませんが、かつてはこの言葉は、主に「結果」を語る時に使われていたのではないか、という気がします。なにかイベントのようなものがあった時に、これだけの経済効果があったのだから大成功だ、よかったね、みたいな感じですね。要は、経済効果というのは、あとからついてくるものだったのですよ(大雑把な言い方で済みません。素人としての定性的な感想に過ぎません)。それが、いつの頃からか、この「経済効果」が「目的」に変わって来たのですね。つまり、オリンピックを開催するのは、スポーツを見て非日常的な感動を味わうためではなく、「経済効果」を生むためなのだ、ということに、いつの間にかなっていたのです。これは、オリンピックに限ったことではなく、全てのイベントについて言えることです。
 そうなると、思い当たることがあります。ものすごく卑小な例で恥かしいぐらいなのですが、仙台という大都市になぜまともな音楽用のホールがないか、ということは、この「経済効果」から簡単に説明出来てしまうのですね。つまり、クラシックのコンサートなんかでは到底期待されるような「経済効果」は生まれないのですよ。そんな「無駄」なことよりも、もっと確実に「経済効果」を得られるものにお金を使うというのが、今の世の中では「正しい」ことなのですからね。
 同じように、「震災復興」と「オリンピック」を比べれば、どちらが「経済効果」が得られるかはだれの目にも明らかです。そういう世の中でオリンピックの開催が決まったということは、震災復興を見捨てたのと全く同じ意味を持つのです。いや、すでに招致活動の段階で、被災地は利用されるだけ利用されて、肝心のところでは見捨てられてはいませんでしたか?
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by jurassic_oyaji | 2013-09-09 21:34 | 禁断 | Comments(0)