おやぢの部屋2
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VERDI
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Plácido Domingo(Bar)
Pablo Heras-Casado/
Orquesta de la Comunitat Valenciana
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このドミンゴの最新のソロ・アルバムのジャケットは、ドミンゴがヴェルディのコスプレをしているというものでした。これで、シルクハットの「つば」がもう少し曲がっていれば、はっとするほど完璧なのですが。それと、ショールの結び方まで同じにしている割には、ドミンゴだと「手ぬぐい」みたいに見えるのは、なぜでしょう。
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そんな恰好をしていますから、これはヴェルディのアリア集だということはすぐ分かります。なんせ「ヴェルディ・イヤー」ですから、そんなものは別に珍しくもなんともないのですが、ここではドミンゴが「バリトン」のロールを歌っているところに注目です。
え?バリトン?なんと言っても「三大テノール」の一人として、オペラやクラシック音楽には全く関心のない人にまで知られているという知名度を誇っているドミンゴですから、彼の職業は「テノール歌手」に決まっている、と言われそうですね。しかし、実は彼は最初からテノールだったわけではありません。彼の声はもともとはバリトン、そこからテノールに「転向」したのですね。それは別に珍しいことではなく、知り合いでも学生時代はバリトンやバスのパートを歌っていた合唱団員が、社会人になってからテノールに転向したという例はいくつも聞いています(その逆で、年を取ってテノールからバリトンに転向した人も知っていますが、それは単に高い声が出なくなっただけです)。
ですから、ドミンゴの声は、テノールとは言ってもただ高い声を華やかに聴かせるというのではなく、もっと落ち着いた音色でしっとりと伝わってくる、というものではなかったでしょうか。そういう音色なので、彼のレパートリーはヴェルディやプッチーニのみならず、ワーグナーにまで及ぶことになったのです。いわゆる「ヘルデン・テノール」という、ワーグナーのテノールのロールに要求される強靭なキャラクターは、しっかりとした低音があってこそのものなのです(そういう意味で、クラウス・フローリアン・フォークトあたりは決して「ヘルデン」ではありえません)。
そんなドミンゴが、最近元のバリトンを歌い始めるようになりました。いや、実はかなり昔、30年以上も前に出たユニセフあたりのチャリティLPのようなものの中で、彼はこのCDでも歌っている「ドン・カルロ」の中の「ロドリーゴの死」というデュエットを、テノールのドン・カルロとバリトンのロドリーゴを同時に(もちろん多重録音)歌っていたのですね。もちろん、この時にはドン・カルロの方がメインで、ロドリーゴはあくまで「お遊び」だったのですが、それを、今回はテノールは別の人をちゃんと立てて、ロドリーゴを本気で歌っているのです。
こちらでも述べられている通り、バリトンという声域自体、ヴェルディによって開拓されたものでした。彼の全オペラの中では、テノールよりもバリトンが重要な役を担っているものの方が多くなっています。70歳を超えたドミンゴが、さらなるレパートリーを求めてバリトンの役を歌い始めても、おかしくはありません。このアルバムは、そんな最近のドミンゴの挑戦のまさに集大成というべきものなのでしょう。
確かに、「マクベス」や「シモン・ボッカネグラ」のタイトル・ロールなどは、堂々たる歌い方でそんな挑戦が見事に結実したことをうかがわせるものでした。ただ、「ラ・トラヴィアータ」のジェルモンのように、今まで数多くの名バリトンたちの名演に触れてきたものでは、何か物足りなさを感じてしまいます。まるで、左利きの人が無理をして右手でお習字をしているようなもどかしさがあるのですね。細かすぎるブレスが、その「いずさ」をさらに助長しているような気がします。
バックのスペインのオーケストラは、なにか野性的なリズム感でヴェルディ特有のシンコペーションをグル―ビーに演奏しています。ただ、「ロドリーゴの死」のように、歌の合いの手がぶっきらぼうになっているのが、かなり気になります。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2013-09-16 19:50 | オペラ | Comments(0)