おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
SCHUMANN/Der Rose Pilgerfahrt, Requiem
c0039487_20222677.jpg
Britta Stallmeister, Antonia Bourvé(Sop)
Olivia Vermeulen(MS)
Daniel Behle(Ten), Tobias Berndt(Bar)
Christopher Spering/
Chorus Musicus Köln, Das Neue Orchester
OEHMS/OC 871




指揮者:クリストファー・シュペリング、合唱団:コルス・ムジクス・ケルン、オーケストラ:ダス・ノイエ・オルヒェルターというチームについては、今から20年以上前、1992年に録音された「メンデルスゾーン版マタイ受難曲」によって、大きな衝撃を与えられたことで、強烈に記憶に残っています(その頃は、合唱団は単に「コルス・ムジクス」という名前でした)。その後も、2001年にはモーツァルトのレクイエムの自筆稿をそのまま演奏するというCDを出したりと、さらなる衝撃を届けてくれたものです。
彼らの最新アルバムは、シューマンの「レクイエム」でした。「モツレク」みたいに略すと「シューレク」でしょうか。お菓子みたい(それは「シュークリーム)。
ただ、これだけでは演奏時間は40分にも満たないものですから、さらにもう1曲、同じ作曲家の世俗オラトリオ「ばらの巡礼」という作品をカップリングしています。実は、彼らは1998年にこの作品のおそらくスタジオ録音によるCDを出していますから、それをコンサートで取り上げた際に「レクイエム」も一緒に演奏し、それをライブ盤として2枚組でリリースした、ということなのかもしれませんね。いずれにしても、なかなか耳にする機会のないこの2つの作品を一度に聴けるのはありがたいことです。
しかし、シュペリングほどの人が、そんなありきたりのコンサートを開くはずはありません。そのコンサートに立ち会ったり、このCDを聴いたりした人たちは、もしかしたらこのようなプログラミングには、なにかたくらみのようなものが潜んでいたのでは、という思いに駆られるかもしれませんよ。
「ばらの巡礼」というのは、演奏時間が1時間を超える大作です。シューマンの晩年1851年に作られたもので、ハインリヒ・モリッツ・ホルンの童話をテキストにしています。天国のばらの精が、妖精によって乙女の姿に変えられ、地上に降りて苦労と喜びを味わうという、どこかで聞いたことのあるようなお話ですが、これに付けられたシューマンの音楽が、まさにロマン派の極致とも言える美しさなのですね。ソロも合唱も、どこまでも澄み切った音楽で、愛、喜び、生命力などを見事に表現しています。
それに続いて、1852年に作られた「レクイエム」が演奏されます。ところが、冒頭の「Requiem aeternam」こそは、今まで聴いていた音楽とは明らかに異なる「暗さ」が宿っていると感じたのもつかの間、次の「Te decet hymnus」になったとたん、その前の作品の「ロマンティック」なテイストが押し寄せてきたではありませんか。この時代の、ある意味一つの完成された姿を見せているドイツのロマンティシズムによる音楽の様式は、本質的に「レクイエム」というジャンル、あるいはそのラテン語のテキストとは相容れないのではないか、という思いがその時に沸いてきました。だから、ブラームスはドイツ語のテキストを用いたのではないか、だから、ドヴォルジャークの「レクイエム」はあんなにもつまらないのではないか、という思いですね。さらに、その時代の「名作」を生もうとすれば、ベルリオーズやヴェルディのように、様式を大きく踏み外す必要があったのではないか、とかね。
こんな思いにさせられることが、シュペリングの「たくらみ」だったと思うのは、間違っているのでしょうか。
とは言っても、テキストの中にはそんな時代様式の壁を越えて普遍性をもって迫れるものも有ります。「Lacrymosa」や「Agnus Dei」がそんなことば。この部分に付けられたシューマンの音楽は、文句なしに心を打たれるものです。「ばらの巡礼」でも大活躍していた合唱が、ここでもクールに切なさを訴えています。
確か、メンデルスゾーンの時には半音低いピッチでしたが、この録音では普通のモダン・ピッチのように聴こえます。木管楽器などもなんかモダンっぽい音、シュペリングはなにか「宗旨替え」を行ったのでしょうか。

CD Artwork © OehmsClassics Musikproduktion
GmbH

[PR]
by jurassic_oyaji | 2013-10-10 20:24 | 合唱 | Comments(0)