おやぢの部屋2
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MAHLER/Das Lied von der Erde
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Sarah Connolly(MS)
Toby Spence(Ten)
Yannick Nézet-Séguin/
London Philharmonic Orchestra
LPO/LPO-0073




このオーケストラのレーベル恒例、★探しは、最近どんどん難易度が下がっているのではないでしょうか。こんな、一目見ただけですぐ分かってしまうようなパズルなんて、面白くもなんともありません。ここでは、もちろん折り鶴の羽根の模様に隠されていますよね。いや、こんなのは「隠す」なんてことには全くなっていないミエミエの処理、こんなに空白が多くては誰でもわかってしまいます。もっと模様の中にさりげなく潜めるような工夫をしないことには。
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しかし、この「大地の歌」のジャケットで「折り紙」を使ったのは、なぜなのでしょう。この千代紙の模様にしても、それを折って鶴を作る技法にしても、それは日本固有のものなのではないでしょうかねえ。「大地の歌」のテキストの元になったものは中国の漢詩ですが、いくら日本では漢字を使っていると言っても、それは全く日本とは無関係なものなのに。最近では、日本の領土を執拗に監視しているような国と一緒にしてほしくはありません。
そんな「勘違い」は、もしかしたら、今や若手の指揮者の中では飛びぬけた活躍をしているネゼ=セガンが、首席客演指揮者を務めるロンドン・フィルとともに作り上げたこの「大地の歌」から、確かに異国の風情ではあるもののそれは決して「中国」だけに由来したものではないという不思議なテイストを引き出していたから、生まれたものなのかもしれません。たとえば、3曲目の「Von der Jugend」のような、いかにも中国風の五音階のメロディでも、それがしっかりマーラー自身の交響曲第1番あたりに登場するメロディとの近似性が感じられる、といった作り方ですね。正直、この曲があの「さすらう若人の歌」の中の「Ging heut' morgens ubers Feld」と似ているなあ、なんて思えたのは初めてのことでした。
そんな、この作品が「歌曲集」ではなく、しっかりマーラーの「交響曲」の一つとしてのつながりを持っていると思えたのには、ソリストたちの選択も大きな意味を持っていたのではないでしょうか。テノールのトビー・スペンスは、出だしの「Das Trinklied vom Jammer der Erde」から、堂々とした張りのある声を聴かせてくれています。これこそが「交響曲」にふさわしい声だ、と思えるのは、以前ケント盤で歌っていたフォークトのあまりの薄っぺらな歌い方に、負の意味での強烈な印象を持ってしまったからなのでしょう。いまにして思えば、あの甲高い声は、それこそ中国の京劇あたりで使われる発声そのものだったのではないでしょうかね。それはそれで、この作品の「中国由来」の「軽さ」を真っ向から音にしたものとしての存在価値があるのかもしれませんが、今回はまさにその対極、「交響曲」としてのどっしりとした「重さ」を知らしめてくれるものでした。
そして、メゾのサラ・コノリーが、その「重さ」を決定的なものにしてくれました。彼女の声は、まるで囁くようなものから力強いものまで自由自在にコントロールされていて、そのどれにも強烈な存在感が込められています。圧巻は、やはり最後の「Der Abschied」でしょう。イントロで聴こえるオーボエの歌心、彼女の声に絡み付くフルート・ソロなど、完璧に泣かされる要素も満載です。
いや、この二つの楽器に限りません。この楽章の、ソロが歌っていない長大な間奏でのそれぞれの楽器のとても自発性に満ちた演奏はどうでしょう。そんなプレイヤー同士のインタープレイから、ここでは見事なドラマが描き出されています。もちろん、それは指揮者のネゼ=セガンの的確な指示のもとに実現したものに違いありません。ほのかに、今までの交響曲の断片が聴こえてくるのに気づかされるにつけ、この指揮者のマーラーの全体像をとらえる眼の確かさを思わずにはいられません。

CD Artwork © London Philharmonic Orchestra Ltd
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by jurassic_oyaji | 2013-11-13 20:18 | オーケストラ | Comments(0)