おやぢの部屋2
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劇団四季の「ジーザス」ジャポネスク・バージョン
 鎌倉に行ってきたのは先々週のことでしたが、またまた東京方面に小旅行です。今回は劇団四季の「ジーザス」のジャポネスク・バージョンがあるというので、行ってきました。この作品については何度も書いていますが、ロイド・ウェッバーの最高傑作だと思っています。そして、それを日本で上演する時に大胆な「読み替え」を行ったこの浅利慶太の演出も大好きです。というのも、最近ではミュージカルの権利関係がかなりタイトになっていて、他のカンパニーが上演する時には音楽だけではなく演出もそのまま同じものを使う(もちろん、ロイヤリティも払って)ことが要求されることが多いのですが、この作品に関しては何の制約もなかったようなのですね。それで、こんな大胆な演出も可能になりました。もっとも、オペラの世界ではそれは当たり前の姿なのですがね。
 上演されていたのは、ミュージカルで使うことはあまりない「自由劇場」でした。私はここに来るのは初めてです。
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 造りは他の四季劇場と同じ、2階席がやたらと前まで出てきている構造ですが、キャパがかなり少なめです。それだけ、間近でキャストを見ることが出来ます。久しぶりに見たのですが、ジーザスは変わっていたものの、ユダ、カヤパ、ピラトなど他の重要な役がかなり昔の人が歌っていたのが、結構驚きでした。この前仙台でやった「キャッツ」では、ほぼ全員変わっていましたからね。
 ただ、もちろんカラオケを使っているのですが、その音響があまり良くありません。というか、宮城県民会館も含めて今まで聴いた中では最低の音でしたね。音場が定まらなくて、音に現実味が全然ないのですよ。この劇場がストレート・プレイ用に作られたための、音響システムの欠陥なのでしょうか。
 演出は、相変わらずほれぼれするようなものでした。真っ白い大八車だけを使って、それを並べ変えたり照明で変化を付けて全てのシーンを作り出すというのは、殆ど天才の仕事です。これだけ見ると、浅利慶太ってすごい演出家だな、と思えるから不思議です。ただ、今回はこのプロダクションを見たのは多分4回目だと思うのですが、今まであまり気にしていなかったことがちょっと問題となって引っかかるようになりました。それは、音楽。このバージョンでは、演出に合わせてオリジナルの編曲ではなく、和楽器を使った独特のものに変えているのですよ。たしかに、それはこのイエスの受難の物語を「江戸時代の日本」に「読み替え」た演出プランと見事に合致しているように、最初のうちは思えていました。シーンを音楽が助けている、という、まあ至極当然の発想ですね。しかし、最近、オリジナルのアルバム・バージョンや映画バージョン、ミュージカル・バージョンとまとめて聴く機会があったのですが、そこで、この音楽は作られた時点で編曲も含めてとても完成度の高い作品に仕上がっていたことが分かったのです。
 そこでこの和楽器のアレンジを聴いてみると、なんとも間が抜けているのですね。例えば、多用されている変拍子は、きっちりしたロックのリズムの中でこそ生きているのでは、というようなことですね。確かに「和」の要素を手っ取り早く感じさせることは出来るかもしれませんが、その結果作品として最も大切だったものまでが抜け落ちてしまっているように思えてしまうのですよ。オペラでは、たとえば「指環」の舞台をアルゼンチンに移したとしても、そこにアルゼンチン・タンゴ風のアレンジを施したりしたらワーグナーの音楽ではなくなってしまいます。同じように、こんな「和風」になった「ジーザス」は、もはやロイド・ウェッバーの音楽ではなくなってしまっているのではないでしょうか。おそらく、浅利演出は、音楽でこんな小細工を弄さなくても、充分にその意味を分からせることが出来るものだと思うのですがね。
 今日のお昼ご飯は、東京駅でひつまぶし。
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 終わってからまた東京駅の大丸で、ぜんざいのおやつでした。これは、鎌倉でおいしそうなお汁粉屋さんを見つけたのに、何回覗いてみても満席だったのであきらめたことへのリベンジです。
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by jurassic_oyaji | 2013-12-14 21:57 | 禁断 | Comments(0)