おやぢの部屋2
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SCHUBERT/Late Symphonies
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Gerd Schaller/
Philharmonie Festiva
PROFIL/PH12062




先日のスッペですっかり気に入ってしまったゲルト・シャラーとフィルハーモニア・フェスティヴァが、こんなアルバムを出していました。タイトルは「シューベルトの後期の交響曲たち」というもので、2曲収録されている交響曲には番号はなく、「未完成の交響曲」とか「大きな(グレート)ハ長調の交響曲」と書かれているだけです。つまり、この2曲の交響曲の「正しい」番号は、いまだに確定していないという最近の情勢が、こんなところにも反映されているということなのですね。「『未完成』は『7番』、『グレート』は『8番』に決まったのではないか」と、新しい全集を知っている人は言うかもしれませんが、それは決して普通のリスナーのレベルにまでは浸透してはいないのです。これは、レコード業界がこの「新しい」呼び方に対して及び腰であることが最大の要因でしょう。この問題は永遠に解決されることはありません。
ということで、これからは「番号」ではなく「あだ名」で呼ぶことが国会で強行採決によって決議されたこの2つの交響曲ですが、このアルバムに限ってはその「未完成」というあだ名も正しくはないことになってしまいました。つまり、ここでは今まで「未完成」だった第3楽章と第4楽章が「完成」されているのですからね。
このように、この交響曲を「完成」(正確には「修復」+「でっち上げ」)させてしまったのは、今回が初めてではありません。第3楽章はほとんどのスケッチと一部のオーケストレーションがすでに終わっていましたから、それをきちんと仕上げれば完成品が出来上がりますし、第4楽章についても、例えばここでその「でっち上げ」作業を行ったウィリアム・キャラガンの、「すでに終楽章の音楽は頭の中にあってあとは五線紙に書くだけだったが、そこに急ぎの『ロザムンデ』の注文があったので、そこにその音楽を使った」という説が信じるに足るものであるのなら、出来上がっている「ロザムンデ」の劇音楽を本来あるべき姿に戻してやればいいだけの話です。
しかし、事はそんな簡単なものではありません。第3楽章はスケルツォの主部はきちんと最後までピアノスケッチ(両手)が出来ていましたが、トリオに関しては16小節のメロディ(右手)しか残っていませんから、それ以降は新たに作らなければいけません。そこで、キャラガンはこの指揮者の録音でもおなじみのブルックナーの交響曲第9番の第4楽章のように、張り切って「修復」をやってくれました。これを、以前からあったブライアン・ニューボールドによるいかにも素朴な「修復」(ネヴィル・マリナーの録音が有名)と比べてみると、その仕事にはかなりの部分でキャラガンの主観が入っているように思えてしまいます。尺が長いだけではなく、その中では大胆な転調が繰り返し行われているのですね。確かに、シューベルトはこのような転調を他の作品で使ってはいますが、ちょっとこれはやり過ぎ、これでは、まるでブルックナーです。
第4楽章も、以前のものは「ロザムンデ」の「間奏曲第1番」をそのまま使っていたはずですが、これではあまり交響曲らしくないということで、キャラガンはその前に「間奏曲第2番」を序奏として加えています。どっちみち「間奏曲第1番」はミスマッチなので、これもあまり説得力のない仕事に終わってしまいました。やはり、「未完成」を「完成」させてはいけなかったのですよ。みかんだって、乾燥させてはいけません。
もう一つの「グレート」の方は、打って変わって颯爽とした仕上がりになっていました。特に第1楽章と第4楽章の軽やかさからは、この曲の「ハ長調」という調性の持つ伸びやかさが十分に感じられてとても気持ちの良いものです。最後の楽章などは、まるで1943年のフルトヴェングラーとウィーン・フィルのストックホルムでの録音みたいな疾走感がありますよ。

CD Artwork © Profil Medien GmbH
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by jurassic_oyaji | 2013-12-19 19:39 | オーケストラ | Comments(0)