おやぢの部屋2
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七声会
 前回の「禁断」は、例によってブログにコピー、それをFacebookでシェアをしたら、それをさらにシェアしてくれた方がいたものですから、ブログに貼りつけた「いいね!」ボタンのカウントが、史上3位ぐらいの数に跳ね上がっていました。もちろん、それは小田和正の番組に出演した東北大混声のネタがらみで、混声OB、OG諸氏のアクセスがあったからなのでしょう。
 でも、その番組関連のことを書いたのは後半だけ、前半には全く個人的なことを書いていたので、私のことを知らない人が見たらなんのこと、と思われたと思うと、ちょっと複雑な気分です。まあ、それがネットというものなのでしょうけど。
 ところで、あの番組の途中では、小田さんの学生時代の写真なんかも紹介されていましたね。そもそもあのコーナーの頭では「青葉もゆる」が、おそらく男声合唱で歌われていましたから、そこで時代が何十年か前にスリップしてしまいました。プロジェクターでそれこそ「白い教室」が映し出されたりすると、小田さんとは確実に同じ空気を吸っていたことを実感できました。ただ、あの写真にあった教室は二階建てでしたが、私は主に平屋の教室で講義を受けていたような気がします。今のキャンパスからは想像もできませんが、当時はそこにあった進駐軍の施設をそのまま使って教室にしていましたから、講義のたびに一旦外に出て、別の建物に行く、ということを繰り返していたはずです。確か、教室の場所を示した地図のようなものを渡されたのですが、それがなければとてもたどり着けないほどに、あちこちに散らばっていたはずです。ですから、今でも、次の講義に行こうとするのに、いくら歩いてもたどり着かないという不条理な夢を見ることがありますね。
 学年は私は小田さんの3年下だったので、確実に同じキャンパスにいたはず(混声合唱団の練習場は川内にありました)ですが、小田さんは混声、私は男声でしたから、当然直接の接点などはありませんでした。ただ、その頃は「七声会(しちせいかい)」という市内の大学合唱団の連合体があって、毎年春に合同の演奏会を行っていました。最後にはみんな一緒にステージに乗っていたので、私が1年生の時には間違いなく小田さんもそのステージにいたはずなのですね。
 番組では、その頃の小田さんの写真が何枚か出てきたので、それを頼りにまだ家にあったその1968年の6月8日に行われた演奏会の集合写真を見てみることにしました。
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 ご覧のように、当時の大学生の(少なくとも仙台では)男子は、例外なく詰襟の学生服を着ていましたから、ここで真っ黒く見える部分が男子学生の塊です。顔を見てみると、前の方にいる集団が男声合唱団の人たちでした。この頃は60人以上いたんですね。うん、みんな分かります。ということは、後の一群が混声合唱団の男声と、学院グリーということになりますね(宮教大もいたかな?)。おそらく、こんな小さな写真では本人でない限り分かりっこないのは承知の上で、思いきり拡大して見てみたら、なんだか面影がある人が見つかりました。白丸の中がきっと小田さんに違いありません。というか、そういうことで私の中では納得です。拡大すると。
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 私は、もちろん今と全然変わってませんから、すぐ分かるでしょ?でも、このフレームの中の人で、すでに2人が故人となっていましたね。
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 実はこの1週間後、6月15日には、東北大学交響楽団の「第9」の演奏会に、やはり男声合唱団と混声合唱団、そしていまはもうない女声合唱団が出演していました。その写真もアルバムの隣に貼ってあったのですが、さすがにそれは小さすぎて、私自身の顔すらも分かりませんでした。
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by jurassic_oyaji | 2013-12-28 22:00 | 禁断 | Comments(2)
Commented by 大連のはっしー at 2013-12-28 22:18 x
おお、やっぱりいましたか?1968年でしたね。
私は1970年6月の七声会定演の合同演奏の写真でした。
残念ながら、一緒のステージではなかったようですね。
この時も県民会館でしたかね。
貴重な写真、ありがとうございました。
こういう形で、絆を確認できてうれしいです。これも「コール青葉」「七声会」のおかげですね、
Commented by jurassic_oyaji at 2013-12-28 22:41
多分、間違いないとは思うのですが、もしかしたら単なる思い込みかもしれません。でも、Facebookには、小田さんの同級生の混声OBの方から「いいね!」が来てましたから、少し自信が出てきました。
この会場は川内記念講堂です。