おやぢの部屋2
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TSCHAIKOWSKY/Symphonie Nr.4
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Dmitrij Kitajenko
Gürzenich-Orchester Köln
OEHMS/OC 671(hybrid SACD)



キタエンコとケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団とのチャイコフスキーの全交響曲(マンフレッド交響曲を含みます)のツィクルスが、今回の「4番」で完了したようですね。リリースされた順番は、最初に「マンフレッド」というちょっと珍しいところを持ってきて、次に「悲愴」、「5番」という最もポピュラーなもの、そのあとは「1番」、「2番」、「3番」というレアものが続き、最後にこの「4番」で締めくくるという、なかなか粋な形をとっています。さらに、変なカップリングを施さず、きっちり1つの交響曲について1枚、余白はバレエ曲や序曲を入れるという分かりやすさです。これで、「マンフレッド」入りのSACDによる全集はマーツァルとチェコ・フィルによるEXTON盤と、プレトニョフとロシア・ナショナル管弦楽団によるPENTATONE盤に続いて3集目となりました。
ただ、録音されたのはこの順番ではなく、2009年から2011年頃までに集中的に行われたものを、適宜リリースした、という感じのようです。それにしても、リリース順につけられた「665」から「671」というきれいに並んだ品番には、このレーベルの几帳面さを感じさせられますね。なんという分かりやすさ。
まずは、なんといってもSACDにこだわった音へのこだわりには、触れないわけにはいきません。エンジニアや録音会場によってムラがあるというものの、このツィクルスのどこをとっても、ハイレゾならではの各々の楽器がしっかり立って聴こえてくる明快さがあります。それと同時に、それぞれのセクションの肌触りが、立体的に伝わってくるのも、気持ちがいいものです。要するに、一度SACDBA、あるいは配信音源でハイレゾを味わってしまうと、CDを聴くたびに「これがハイレゾだと、もっとのびやかで繊細な音がするんだろうなぁ」と思ってしまい、なんでこんなものを買ってしまったのだろうというストレスを感じるカラダになってしまうのですよ。
この忙しい世の中では、音楽を聴く時間などは、何とかやりくりしてひねり出さないことには生まれては来ません。そんな貴重な時間なのですから、同じ聴くのなら少しでもいい音で聴きたいじゃないですか。このSACDのように、きちんと報われるだけの音が聴こえてくれば、それだけで幸せな気持ちになれるものです。
そんな、極めて透明度の高い、それでいて中身の詰まっている音だからこそ、キタエンコがこのオーケストラから導き出そうとしているチャイコフスキーのイメージは、ストレートに伝わってきます。それは、よくある激情に任せたパッションあふれる音楽ではなく、もっとタイトな音楽です。
第1楽章では、冒頭のファンファーレは決して情熱的なインパクトを与えられるものではなく、いたって冷静な佇まいを持っています。ここでもう聴き手は、チャイコフスキーによって心躍る時間がもたらされる期待を断ち切られることになります。曲が進むと、あちこちのパートが勝手気ままにリズムを刻んで、ほとんど収拾がつかないような恐ろしい事態が登場します。そんな、決して丸くは収まらない戦場を作り出すのも、キタエンコの狙いだったのでしょう。ここに見られるのは、カタストロフィーにほかなりません。
第2楽章では、オーボエのソロがすでに異様なグロテスクさに包まれています。それは、一切の感情を殺したかのような、まるでロボットが演奏しているのではないかと思われるほどの機械的な音楽です。それがあるからこそ、そのあとの弦楽器は、ほんのさりげないしぐさでも十分に必要な情感が伝わってくることになります。
残りの楽章もあくまでクール、それに比べてカップリングの「イタリア奇想曲」は、うって変わってベタベタの雄弁さが際立っています。シンフォニーとは違う音楽だという、これもキタエンコのメッセージなのかもしれません。むすび丸に会いに行きませんか?(それは「北へ行こう」)
(1/22追記)
代理店からの情報によると、近々、「交響曲第7番」(ボガティレフ復元版)がリリースされ、それによって文字通りツィクルスが完了するのだそうです。「蛇足」、という気がしないでもありません。

SACD Artwork © OehmsClassics Musikproduktiln GmbH

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by jurassic_oyaji | 2014-01-20 20:17 | オーケストラ | Comments(0)