Werner Andreas Albert/
NDR Radiophilharmonie
CPO/777 679-2
パウル・グレーナーという作曲家をご存知ですか?
1872年にベルリンで生まれ、
1944年にザルツブルクで亡くなった指揮者、教育家でもあった作曲家です。
1898年にはロンドンに移住、劇場の音楽監督に就任するとともに、作曲の教師も務めます。
1909年にはイギリスの市民権も獲得するのですが、今度はウィーンへ家族(妻と子供3人)とともに移り住みます。そののち、
1911年には、ザルツブルクのモーツァルテウムから院長就任のオファーを受け、
1913年までその職にありました。以後、ライプツィヒやベルリンで教鞭をとることになるのですが、
1933年にはナチスの党員となり、もっぱら「御用作曲家」として活動、そのために最近までは作曲家としてはほとんど忘れられた存在でした。
作品はオペラから室内楽、ピアノ曲など多岐にわたっているようですが、こんな風にオーケストラ作品の全集(これが第2巻)が出るようにもなってなってきました。
ここでは、それぞれ時代の、おそらく作風も違っている3つの作品を聴くことが出来ます。最初はザルツブルク時代の
1912年に作られた交響曲ニ短調「
Schmied Schmerz」です。ただ、このタイトルの日本語表記については、ちょっと補足が必要です。例えば、
Wikipediaではこれを「鍛冶屋シュメルツ」と訳していますが、これは完全な誤訳です。確かにドイツ語で「
Schmied」は「鍛冶屋」ですが、「
Schmerz」はその鍛冶屋さんの名前ではなく、普通名詞で「痛み」という意味を持つ単語なのですよ。そもそもこれは、グレーナーが歌曲のテキストにも用いている詩人、オットー・ユリウス・ビーアバウムが作った「痛いのは鍛冶屋だ」というフレーズで始まる、人生の苦悩のようなものを鍛冶屋の仕事に喩えた詩のタイトルなのですからね。別に、この曲の中で鍛冶屋がハンマーを振り下ろす描写が出てくるわけではありませんが、この元の詩の中に漂う厳しい情感を表わしたタイトルなのです。この時期にグレーナーは幼い長男を亡くしてしまっていて、その悲しみの情が作品にも反映されているのですよ。
それを、「鍛冶屋シュメルツ」などと訳してしまっては、いったい何のことかわからなくなってしまうではありませんか。恐ろしいのは、ネット中を探してみても、「鍛冶屋の苦悩」と訳した
ただ一つの例外を除いては、この
Wikiの誤訳しか見つからないということです。盲目的に信じられてしまった誤った情報が、何の批判も受けずに拡散することほど恐ろしいものはありません。それによって、正しい情報が
しゅめるつ(死滅)してしまうのですからね。
実際には、この曲には確かに第1楽章の序奏など重苦しい部分はありますが、それよりも、そこを乗り越えた心の安らぎのようなものがしっかり描けているような気がします。何より、ハープの入った三管編成の華麗なサウンドが、後期ロマン派ならではの充実した響きを堪能させてくれています。
2曲目は、「牧神の王国から」というタイトルの、4つの部分から成る作品です。これは
1920年に作られたものですが、この時期作曲家はフランスの印象派に傾倒していたそうなのですね。そこで、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」に対するオマージュとして、こんなものが出来たのだそうです。でも、聴いてみると「どこが印象派?」と思えるような、間違いなくドイツ・ロマン派の範疇の作品なのですが、あくまで自分の中では印象派だと思いこんでいるところがかわいいですね。ホルンのフレーズや、最後のサンバル・アンティークなどは、もろ「牧神」のパクリですし。
そして、最後の「騎士オイゲン公」による変奏曲は、もろナチスのプロパガンダです。集会で演奏されたらさぞや盛り上がるだろうな、という、とても扇情的で分かりやすい作品に仕上がっていますよ。最後のトランペットのバンダに合わせて「Heil! Hitler!」とかやってたんでしょうね。こんなのも、ある意味貴重です。
CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück