おやぢの部屋2
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VASKS/Flute Concerto
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Michael Faust(Fl)
Sheila Arnold(Pf)
Patrick Gallois/
Sinfonia Finlandia Jyva[]skyla[]
NAXOS/8.572634




ひところ世間を騒がせたあの「偽作曲家」の、「指示書」を書いて実際に曲を作った人に内容を伝えていたという「手口」は、マスコミによって細大漏らさず報道されてしまいましたね。これをもって、マスコミは「彼は作曲家ではない」と決めつけてしまったわけですが、実は今の時代、別に楽譜が書けなくても「作曲」は出来てしまいます。確固たるイメージと、それを的確に伝える能力さえあれば、だれだって「名曲」を作ることは出来るのですよ。現に、あの「指示書」に基づいて作られた曲に、多くの人が「感動」を与えられたのですからね。彼は楽譜こそ書くことはできませんでしたが、音楽によって人の心を動かすすべには精通していた、とは言えないでしょうか。
そこで彼が曲想を伝えるのに用いたのが、「調性音楽的60%対現代音楽的40%」のような、非常にわかりやすい定量的な指示です。それを見ると、「音楽」の属性をこのように「調性音楽」と「現代音楽」という2つの要素にきっちりと分けたという発想が、とても的を射たものであるように思えてしまいます。もし、「現代音楽」の中に「民族音楽」のようなものが含まれているとすれば、現在作られている音楽は、全てこの二つの要素から成り立っている、とは思えませんか?

1946年生まれのラトヴィアの作曲家ペーテリス・ヴァスクスのフルートのための作品を集めたこのアルバムを聴くときには、この「定義」が役に立ちます。まず、ここでフルートを演奏しているドイツのフルーティスト、ミヒャエル・ファウストのために2008年に作られた「フルート協奏曲」では、冒頭こそ何やらノイズっぽい打楽器の音が聴こえますが、それは単なる情景描写の手段であることがすぐにわかり、その後にはまるでそのまま映画音楽に使えてしまいそうな、極めて描写的な音楽が続きます。3つの楽章の最初と最後は、ほとんど同じゆっくりとした楽想で、フルート・ソロはまさに「調性音楽的」な歌を延々と歌います。第3楽章のエンディングには、冒頭のノイズがそのまま再現されるという分かりやすさです。そして、真ん中の楽章は「ブルレスカ」という、ちょっとおどけた軽快な楽想なのですが、その最後に演奏されるカデンツァだけが、もろ「現代音楽的」な音楽になっているのです。
次の、1992年にペトリ・アランコのために作られたフルート・ソロのための「ソナタ」は、協奏曲と同じ楽章構造、両端がゆっくりで真ん中が軽やかという3つの楽章で出来ていますが、その「ゆっくり」の方ではアルト・フルートが使われます。それは、まさに「現代音楽的」が100%という、潔さです。アルト・フルートで奏でられるパートは「夜」と名付けられています。どこまでも暗く深い闇の世界、対して普通のフルートの楽章は「飛翔」という、外へ向けての意志が感じられる音楽です。
練習曲のような目的で1972年に作られた「アリアとダンス」は、ピアノ伴奏が付いた、もろ「民族的」な音楽です。「調性」というよりは、素朴な「旋法」で作られているのでしょう。
そして最後は、1980年のフルート・ソロのための作品「鳥たちがいる風景」です。タイトルから、メシアンのようなパッセージを思い浮かべるかもしれませんが、ヴァスクスの場合の「鳥」は、もう少し北欧的なおおらかさを持っています。もちろん、これも「現代音楽的」なパーセンテージがかなりを占めている音楽です。
このようなヴァスクスの作曲に対する姿勢は、まさに「現代作曲家」に共通したものではないでしょうか。
演奏しているファウストは、おそらく「現代音楽的」なものの方が得意人なのでしょう。そのような曲では目覚ましい勢いが感じられますが、「調性音楽的」な部分になると、とたんに熱意がなくなってしまうようです。したがって、協奏曲ではカデンツァ以外での存在感が、オケの中に埋没しています。指揮のガロワが吹いていたら、どうなっていたでしょう。

CD Artwork © Naxos Rights US. Inc.
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by jurassic_oyaji | 2014-03-25 23:25 | フルート | Comments(0)