おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
クラシックレコードの百年史/記念碑的名盤100+迷盤20
c0039487_2305424.jpg





ノーマン・レブレヒト著
猪上杉子訳
春秋社刊
ISBN978-4-393-93542-2



イギリスの音楽ジャーナリストNorman Lebrecht2007年に刊行した「Maestros, Masterpieces and Madness」という書籍の全訳です。お分かりのように、この元のタイトルはしっかり「M」で韻が踏まれていますね。全部で3部からできている、これがそれぞれのタイトルだったのです。実は、その第1部はさらに8つの章に分かれていて、それぞれ「Matinee」、「Middlemen」といったM始まりの単語がタイトルになっています。それだけで、このレブレヒトという人はただ者ではないような気がしてきますね。もちろん、邦題はそれとは似ても似つかぬ陳腐なものですから、そこから著者、あるいは著書のテイストを推測することは困難です。ほんと、こんなんではまるでクラシックレコードが100年かけて発展してきた歴史をつづった本、みたいに思えてしまいますよね。
そうなんです。この日本語の書名では全く伝わっては来ませんが、これはレコードがこの世に誕生してから消滅してしまうまでの成り行きを、主にメジャー・レーベルについて、その経営者やプロデューサーを主人公にして、客観的に描いたドキュメンタリーなのです。いや、まだ「消滅」はしてはいないだろう、と、多くの方は思うかもしれませんが、メジャー・レーベルに限って言えばもはや「クラシックレコード」というものを「産み出す」機能は失われてしまっているのですよ。これは、そんな「クラシックレコードの終焉」を世に知らしめる書物なのです。こんなノーテンキな邦題に騙されて読み始めたら、そのあまりに悲惨な内容に、読んだことを後悔するかもしれませんよ。
そもそもの著者の企ては、彼がコラムを執筆している新聞やウェブサイトを通して寄せられた読者の声も反映させて、クラシックレコードが誕生してから今日までの100枚の「Masterpieces」を選ぶことでした。その結果は本書の「第2部」にまとめられています。そこで選ばれた全てのアイテムに詳細にコメントを加えていく過程で、必然的にそれらを包括的に歴史を追って述べることの必要性を感じ、「第1部」を新たに書き下ろしたのでしょう。したがって、「第1部」と「第2部」(さらに、「Madness」たる「第3部」も)では、重複した記述が頻繁に見られますが、それらはおそらく著者の主張を繰り返すことによって印象付けようとする手法だと思いたいものです。
もちろん、「終わり」があれば「始まり」もありますし、その途中には間違いなく「成功」だってありました。そんな最も成功した事例として挙げられているのが、言うまでもなくヘルベルト・フォン・カラヤンです。なんたって、彼は今までにレコード(+CD)を2億枚も売っているのですからね(そんなアーティストランキングが載ってますが、ジェームズ・ゴールウェイが6位のマリア・カラスと8位のプラシド・ドミンゴに挟まれて7位に入っているというのがすごいですね)。そんな、カラヤンに群がる複数のレーベルの関係者の動向をつぶさに語っているくだりは、何かとても現実とは思えないほどの今の世の中とはかけ離れた出来事のように思えます。かつては、レーベルの力によって、指揮者をランクの高いオーケストラに「送り込む」ことさえ出来たというのですからね。
たとえば、古くはゴードン・パリーがDECCAを去った理由とか、最近ではSONYによって進められていたリゲティの全曲録音がいきなり中断され、WARNERに移った事情など、ぜひ知りたいと思っていたことがいとも身近に語られているのを見るのは、知的好奇心を潤すには十分すぎる効能です。あのジョン・カルショーすら、いとも気軽に「ゲイ」で片付けられているのですからね。ただ、注意しなければいけないのは、おそらく原文にあったであろう「ひねりのきいた」言い回しが、この訳文では誤って伝えられる恐れがあること、それと、著者自身の事実誤認は、訳者によってかなり訂正されてはいますが完全にはなくなっていない点です。パヴァロッティがベルゴンツィの代役でヴェルディの「レクイエム」を歌ったのはニューヨークではなくミラノですし、「EMIスタジオ」が「アビーロード・スタジオ」と呼ばれるようになったのは1970年代以降のことなのですからね。

Book Artwork © Syunjusha Publishing Company
[PR]
by jurassic_oyaji | 2014-03-31 23:02 | 書籍 | Comments(0)