おやぢの部屋2
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Polish Flute Quartets
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FourTune
Lukasz Dlugosz(Fl)
Radoslaw Pujanek(Vn)
Katarzyna Budnik-Gelazka(Va)
Rafal Kwiatkowski(Vc)
CD ACCORD/ACD 187-2




以前こちらのペンデレツキのフルート協奏曲のCDでお目にかかっていたポーランドのフルーティスト、ウーカシュ・ドウゴシュと弦楽器のメンバー3人が集まったのが、「FourTune」というユニットです。まあ楽器が4つ集まって「4つの調べ」という意味なのでしょうが、おそらくこれは「Fortune」という言葉とひっかけているのではないでしょうか。「幸運」とか「財産」という意味の言葉ですが、ジャケットを見ると、そこにはサイコロが。ということは、これは「フォーチュン・クッキー」などに通じる「運だめし」の方の意味が強いのでしょう。「音楽は博打だ」とか。
ある意味、作曲家の「運」というか「運命」などは、本当にわからないことが多いものでしょうから(うん)、そのあたりの意味ももしかしたら込められているのかもしれません。確かに、ここで彼らが取り上げた作曲家たちの「運命」ときたら、なかなかのものでしょうからね。
まずは、1943年生まれのクシシュトフ・メイエルです。奇しくも同じファースト・ネームを持つペンデレツキとともに、ポーランドの「前衛」シーンを担った作曲家ですが、多くの「前衛」と同じようにロマンティックな作風に変わる道をたどって現在に至っています。しかし、1988年に作られたこの「6つの楽器のためのカプリッチョ」を聴くと、まさに同じような「運命」をたどったペンデレツキが捨て去ってしまったものを、まだまだ自分の中に残しているな、という感触が得られます。まず、このタイトルからして一ひねりありますからね。演奏者は4人しかいないのに「6つの楽器」って、どういうことでしょう?実は、この3つの楽章から出来ている作品で、ドウゴシュは楽章ごとにアルト・フルート、普通のフルート、そしてピッコロと、3種類の「楽器」を演奏しているからなのですよ。ね、それに3つの弦楽器を加えれば「6つ」になるでしょ?
第1楽章の「Capriccioso」は、アルト・フルートの息の長い瞑想的なアリアを弦楽器がサポートするというスタイル。その弦楽器のリズム・パターンがさまざまに変わる中で、フルートは孤高の存在として佇んでいます。第2楽章の「Vivo」は、うって変わって超絶技巧の応酬、無調感の漂うフレーズの中には、間違いなくこの作曲家のアイデンティティが感じられます。そして第3楽章の「Lento」では、ピッコロの使い方が絶妙です。まるで点描画のようにこの楽器が打ち込む刺激的な高音のパルスが、弦楽器たちが作り上げている空虚感あふれる空間に、さらに切なさが漂うようなアクセントを与えているのです。これはなかなか深みのある音楽、たとえスタイルが変わったとしても、その中に過去の自分らしさがしっかり残っていれば、そこにはしっかりとした尊厳が認められるのですよ。
ですから、変わり過ぎてしまったペンデレツキの場合は、まず本来の「クラリネット四重奏」という編成を、安直に「フルート四重奏」に変えてしまった時点で、すでに作品に対してのリスペクトが失われてしまっているのでは、と、決めつけられても仕方がありません。確かに、このフルート版は、特に最後の「別れ」という楽章はかなり上質な「ヒーリング・ミュージック」に仕上がっていますが、オリジナルのクラリネット版には、もう少し聴く者を突き放すような「力」があるのでは、という気がします。もちろん、本質的にはそれほどの違いではないのですけどね。まさに熟達の筆致による深い瞑想の世界は、退屈なだけです。ライナーでも触れられていますが、ショスタコーヴィチあたりのテイストが強く感じられるのも、いつものペンデレツキです。
もう一人の1930年生まれのヴワディスワフ・スウォヴィニスキという、指揮者としても知られている人の「王宮のための組曲-バロックの思い出」は、タイトル通りの「現代音楽」のバロック風パロディ、「だからなんなんだ!」という怒りなくしては聴けません。

CD Artwork © CD Accord
by jurassic_oyaji | 2014-05-16 20:31 | フルート | Comments(0)