おやぢの部屋2
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MESSIAEN/Turangalîla-Symphonie
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Angela Hewitt(Pf)
Valérie Hartmann-Claverie(OM)
Hannu Lintu/
Finnish Radio Symphony Orchestra
ONDINE/ODE 1251-5(hybrid SACD)




「トゥランガリーラ」なのか、「トゥーランガリラ」なのか、はたまた「トゥーランガリーラ」なのかはっきりしてほしい日本語表記ですが、10ある楽章の表題も混乱の極みです。第8楽章の「Developpement de l'amour」などは、素直に「愛の展開」と訳してしまうとなんだか素っ気ないと思ったのか、「愛の敷衍」などと読み方すら分からないような難しい言葉を使ってごまかそうとしている一派もあったりしますから。
「交響曲」とは言っても、実際はピアノとオンド・マルトノを独奏楽器とする「二重協奏曲」、打楽器の種類がやたらと多いという、メシアンならではの独特の編成です。そんな、極彩色をふんだんに放つサウンドを録音で味わうには、ちょっとCDでは物足りないと日頃から感じていたら、やっとSACDが発売になりました。とは言っても、SACD自体はもうすでに出てはいたのですが、それは1977年のプレヴィン盤(EMI)というアナログ録音からのトランスファー、しかもシングル・レイヤーなのに2枚組という理不尽なものでしたから、もはや市場にはありません(というか、それを出したメーカー自体がなくなってしまいました)。
そういうわけで、これはハイレゾ・デジタル録音による最初のSACDとなるわけです。もちろん5.0のマルチ・トラックも収録されていますから、それなりの装置のあるご家庭ではこの稀有なサラウンドを味わえることになります。ダイニングの食卓には酢のご用意が(それは「皿うどん」)。
そんな幸せなオーディオ環境にある方が、このSACDをサラウンドで聴いたらオンド・マルトノが「超笑えるところ」から聴こえてきた、という貴重なレポートをネットに公開されていました。いったいどんなところだったのでしょう。まあ、勝手に笑ってなさいとしか言えませんが。
あくまでピュア・オーディオにこだわる「おやぢの部屋」では、そんな「邪道」には目もくれずひたすらステレオ音場での体験に邁進です。そこでは、確かにオンド・マルトノのバランスが飛びぬけているように聴こえます。今まで聴いてきた16種類ほどの録音を全て聴き比べてみると、それが単なる気のせいではないことも分かります。例えば第2楽章「愛の歌1」で、始まってしばらくしてヴァイオリンとのユニゾンでオンド・マルトノが艶めかしいテーマを奏でるところでは、ほとんどのものがオケの中の一楽器という位置づけでヴァイオリンに溶け込むようにこの楽器を扱っています。ナガノ盤(2000TELDEC)やフォンク盤(1999PENTATONE)だとヴァイオリンしか聴こえないほどです。しかし、ここでは逆にヴァイオリンはほとんど聴こえず、まさにソロとしてのオンド・マルトノのくっきりとした音像が拡がります。ソリストのアールマン・クラヴリーは、そんな録音だからこそ、以前のヤノフスキ盤(1992RCA)やトルトゥリエ盤(1998CHANDOS)やカンブルラン盤(2008HÄNSSLER)では分かりにくかった彼女の表現力の大きさを存分に発揮、この作品でのこの楽器のソロとしての存在感を思い切り主張しているようです。そのクライマックスは第10楽章「終曲」。後半に現れる「愛のテーマ」で、オンド・マルトノの妖艶なビブラートがフル・オーケストラの壁を突き破って響き渡るとき、そこにはエロティシズムの世界が赤裸々に広がります。
リントゥは、この前のリゲティでも見られたように、作品に対する「現代作曲家」からの呪縛を軽々と解き放ち、自由に羽ばたかせることを可能にした世代の指揮者なのでしょう。その奔放さは、見事に開花しました。
このフィンランド放送交響楽団では、首席フルート奏者のペトリ・アランコが去ってから、そのポストが長らく空席になっていました。その席が、この5月に、オーディションを経て入団された日本人のホープ小山裕幾さんによって埋められたそうです。このSACDが録音されたのは今年の1月ですから、まだ小山さんは参加していませんが、いずれこのコンビの録音が出ることを期待しましょう。

SACD Artwork © Ondine Oy
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by jurassic_oyaji | 2014-07-03 20:28 | オーケストラ | Comments(0)