おやぢの部屋2
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曲目解説
 おとといのコンサートの入場者数は134人ということでしたが、今日職場に出勤して、このコンサートに来ていた社長の話を聞いたら、「160人以上はいた」ということでした。職業柄、そこに来ている人が何人いるのか数えてしまう癖があるようで、それはかなり正確な数字であることは今までの経験で分かっていますから、この人数も信頼できるのではないでしょうか。ですから、これはなかなかの数字なのでは、という気がするのですがね。
 その話で、プログラムの曲目解説がなかなか分かりやすくて面白いと言ってくれました。まあ、それは私が狙っていたことなので、ちゃんと伝わっていたな、とうれしくなりましたね。この前ニューフィルに「展覧会の絵」の解説を書いた時もそうですが、私がそういうものを頼まれた時には、よく国内盤のCDに載っているような解説文みたいなものは絶対に書くもんか、という強い気持ちを持って臨んでいます。なにしろ、ああいうものはヘタをすると半世紀ぐらい前に書かれたものを平気で使い回したりしていますから、いかにも高飛車な、殆ど「お勉強」をさせられているような文章が平気で出回っていますからね。基本、楽曲アナリーゼなのですが、そんなものは普通の人が読んだって分かるわけはないのですよ。そういう不毛な解説にはならないように極力配慮、それでいて必要な情報はしっかり盛り込むという、言ってみれば初心者が読んでもマニアが読んでも楽しめるようなものを目指しているのですが、どうだったのでしょうか。今回の解説の全文を、貼り付けておきます。

演奏曲に寄せて

「ドン・ジョヴァンニ」序曲

 本日の演奏会のメインの交響曲は1788年、モーツァルトが32歳の時に作られたものですが、その前の年、1787年に作られたオペラが「ドン・ジョヴァンニ」です。「ドン・ジョヴァンニ」というのはイタリア語での読み方、本来のスペイン語だと「ドン・ファン」という、天下にその名を知られた女たらしの名前になります。どのぐらいの女たらしかというのは、レポレッロという従者がいつも持ち歩いている「今までものにした女性のカタログ」(ほんとですよ)で分かります。それによるとその数は5ヶ国合わせて2065人ですって。そんな無茶をするものだから、最後は、ついさっきものにしたばかりの女性の父親の亡霊に、地獄へ連れて行かれてしまいます。その時に流れる音楽が、この序曲の最初に聴こえてきます。それはまさに身の毛もよだつようなおどろおどろしい音楽です。
 しかし、それが終わると一転して明るく軽快な音楽に変わります。そんな不道徳で悲惨な内容ではあっても、これはあくまでエンターテインメントとしての「オペラ・ブッファ」ですから、まずはお客さんに喜んでもらえるような音楽で心をつかむというのが、この頃のオペラのお約束です。
 このオペラは、初演されたプラハでは熱狂的な大成功をおさめます。それに気を良くしたモーツァルトは、これをウィーンでも上演するために、新たに何曲かの新しいアリアを作るなどより完成度の高いものに改訂しました。しかし、そんな期待とは裏腹に、翌年の上演に際してのウィーンの聴衆の反応は冷ややかなものでした。
 そんな様子に見られるように、この頃のモーツァルトのウィーンでの人気は、明らかに下り坂となっていたのです。数年前までのまさに飛ぶ鳥を落とす勢いの人気作曲家の姿は、もはやここにはありません。かつては200人近くのお客さんを集めた、彼が新作のピアノ協奏曲や交響曲を演奏する「予約演奏会」も、もうチケットを買ってくれる人はわずか、もう少しすると、予約したのはモーツァルトの最大の後援者だったヴァン・スヴィーテン男爵ただ一人などという悲惨なことになってしまいます。
 そんな状況にもめげず、モーツァルトは、それまで彼が作って来たものとは一味違う、当時としては革新的な技法を盛り込んだ交響曲を、ほんの2か月足らずの間に3曲立て続けに作曲します。それが、変ホ長調(第39番)、ト短調(第40番)、ハ長調(第41番)の、後に「3大交響曲」と呼ばれる作品たちです。演奏する当てもないのになぜこんなに交響曲を作ったかについては諸説ありますが、この3曲をまとめて出版するつもりだったというのがおそらく正解でしょう。本日の演奏会では、この中から「39番」と「41番」が演奏されます。

交響曲第39番
 モーツァルトは、ハイドンによって整えられた交響曲という形式を美しい旋律の流れや、陰影に富む和声の移ろいによって磨き上げ、さらに深みのあるものにしました。しかし、この作品では、そのハイドン以来の伝統に背くようなあることが行われています。それは、オーボエの代わりにクラリネットを起用したという管楽器の編成です。モーツァルトは、このまだ歴史の浅い楽器の音色をいたく気に入っていたようで、折に触れてこの楽器を重用しているのですが、ここに来て交響曲の「定番」であったオーボエをあえて外して、そのクラリネットを主役に押し上げたのです。彼の交響曲の中で、木管楽器がフルート、クラリネット、ファゴットの3種類だけというものは、これ以外にはありません。それは、変ホ長調という格調高さと優雅さを兼ね備えた調性で作られたこの交響曲のサウンドを仕上げる役割を存分に果たすものでした。
 第1楽章は、まさに格調の極みともいうべき堂々たるフランス風の付点音符に支配された序奏で始まります。続く主部はうって変わって軽快な3拍子となりますが、そのテーマはあくまで優雅でしなやか、時折聴こえてくる2小節分を大きな3拍子ととらえたリズム(「ヘミオレ」といいます)がとても粋な味わいを添えています。
 第2楽章でもとても明るく美しいテーマが現れます。しかしそれは最後にチラッと暗めの表情を見せる油断のならないもの、案の定、その後にはちょっと厳しい音楽に変わります。しかし、どんな時でも最初のテーマは必ず現れて癒しを与えてくれます。
第3楽章では、とても元気なメヌエットに挟まれたトリオの部分がポイントでしょう。ここではクラリネットの二重奏による極めつけの優雅さが味わえます。フレーズの最後を繰り返すフルートや、合いの手のホルンはあくまでクラリネットの召使い。
第4楽章のテーマは、ディズニー・アニメの「不思議の国のアリス」の中で、庭に咲く花々が歌う「きらめく昼下がり(All
in the Golden Afternoon)」という曲と非常によく似ています。この曲を作ったオリバー・ウォレスは、きっとこのかわいらしいテーマが記憶のどこかに残っていたのでしょう。しかし、音楽の方はヴァイオリンの名人芸が延々と続くスリリングなものです。テーマの冒頭のモティーフがパートの間でやり取りされるバトルも、最後まで目が離せません。ただ、やはり冒頭のモティーフによるいともあっさりとした終わり方には、なんだか肩透かしを食らったような感じがしませんか?それはまるでモーツァルトが「なんちゃって」とふざけているみたいで、とてもユーモラス。

交響曲第41番
 モーツァルトの早すぎる死によって、図らずも最後の交響曲になってしまったこの作品は、結果的にはそれまでの交響曲には見られなかったさまざまなアイディアが盛り込まれ、彼の最高傑作として、あるいは交響曲の未来への可能性を開いたものとして、多くの人に愛されるものとなりました。同時代の興行師ザロモンが、この作品のまさに神のようなたたずまいに対して、ローマ神話の最高神の名前である「ジュピター」というニックネームを与えたことにより、より広く親しまれることにもなります(最近ではこの名前はもっぱらホルストの「惑星」の中の「木星」に対して用いられることが多いので、注意が必要です)。
第1楽章で序奏なしにいきなり始まる主部の冒頭は、たった4小節で男性的な逞しさと、女性的な繊細さという相容れないテーゼをともに表現している驚くべきものです。さらに、トランペットとティンパニによって祝祭的に盛り上げられる部分と、弦楽器が時にはリリカルに、時にはかわいらしく歌い上げる部分との対比も聴きどころ、この楽章は素敵なメロディでいっぱいです。
第2楽章では、ヴァイオリンは弱音器を付けて神秘的な音色で迫ります。それは確かに美しいメロディには違いないのですが、何かいつものモーツァルトのようななめらかさがちょっと不足しているようには思えませんか?それは、その時代の様式からあえて離れて、少し前のバロック時代の様式を導入したためです。その、まるでバッハのオブリガートのようなちょっといびつなフォルムは、モーツァルトの手にかかるといとも華麗な装飾に変わるものの、どこかひねくれた味が。
第3楽章は、高いところから低いところに音が降りてくるという、まさに自然に逆らわないテーマのメヌエットです。しかし、中間部のトリオの後半にさりげなく登場する「ド・レ・ファ・ミ」というモティーフを見逃すわけにはいきません。
そのモティーフは、第4楽章で大活躍するテーマの重要なパーツ。例えばベートーヴェンの第5交響曲の「ジャジャジャジャーン」というモティーフのように、ありとあらゆるところに顔を出しています。そこに、それとは全くキャラクターの異なるモティーフが絡みついて繰り広げられる壮大なポリフォニーの世界こそが、この作品の最大の見せ場、こんな突拍子もない交響曲なんて、それまで誰も聴いたことはなかったはずです。もちろん、これもバロック時代の様式を巧みに取り入れたもの、そこからは、3年後の遺作「レクイエム」での「キリエ」の二重フーガの姿が見えてはこないでしょうか。

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by jurassic_oyaji | 2014-07-22 19:55 | 禁断 | Comments(0)