おやぢの部屋2
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PUCCINI/Madama Butterfly
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Alexia Voulgaridou(Cio-Cio San)
Teodor Ilincai(Pinkerton)
Cristina Damian(Suzuki)
Lauri Vasar(Sharpless)
Vincent Boussard(Dir)
Alexander Joel/
Philharmoniker Hamburg
ARTHAUS/108 106(BD)




2012年にハンブルク州立歌劇場で上演されたプッチーニの「蝶々夫人」のライブ映像です。タイトル・ロールはギリシャの若手、アレクシア・ヴルガリドゥ。彼女は、今年の1月末から2月にかけての新国立劇場で、この同じ役を歌っていたそうですね。ただ、初日だけは「体調不良」のために、代役の日本人歌手が歌ったのだとか、オペラの公演というのは、何が起こるのかわかりませんが、こんな不測の事態にすぐに対応できる「シャドー」がきちんと控えている、というのも、すごいですね。
その時のネット記事などを見てみると、彼女はミミやトスカはレパートリーに入っていても、蝶々さんを歌い始めたのは「2012年から」だということですから、もしかしたらこのプロダクションが彼女にとってのこの役の初舞台だったのかもしれませんね。それにしては、この演出はかなりアブノーマルな設定ですから、ちょっと「初体験」には辛いのでは、という気がしますが、逆に、もしかしたら彼女を想定してプランが立てられたのではないのか、と思えるほどの見事なハマり方でした。
常々、オペラという舞台芸術は西洋人が作ったものをずっと西洋人が演じてきたものですから、そこに日本人などの東洋系の顔をした人たちが加わるのには、少なからぬ違和感があったものでした。なんたって見た目が第一のオペラでは、日本人が西洋人のフリをして演じているのが、とても滑稽に見えてしまうことがあるのですよね。
「蝶々夫人」に関しては、主役が日本人という設定なのだから構わないだろう、という見方もあるかもしれませんが、これはこれで西洋人が全く似合っていない扮装やメークで開き直っている方が、むしろ自然に思えるから不思議です。なんたって、音楽は純然たる西洋音楽ですからね。引用されている日本の旋律の断片は、単なるオリエンタリズムの色付けに過ぎませんし。余談ですが、日本人の大切な大切な財産で、決して貶めてはならないとされている「キミガヨ」という楽曲がこんな風な使い方をされていることに対して、アベさんなどは激怒することはないのでしょうか。「茶渋をちゃんと取れ!」とか(それは「ミガキコ」)。あ、あの人はコイズミさんとは違って、軍歌は歌ってもオペラなんか見ることはないのかも。
とは言っても、やはり不自然さは隠せないと思う演出家は多いのでしょうね。ここでの演出を担当したブッサールは、とても面白いやり方で、見事にそこに解決の糸口を見出しました。まず、第1幕では、これまでの「へんてこな日本」をさらにデフォルメしたような、完全にハチャメチャな舞台で迫ります。これはある意味爽快、プッチーニのほとんど勘違いとも思える異国趣味を見事に具現化したものです。何しろ、十二単みたいな着物の人が、デコレーション・ケーキみたいな帽子をかぶっているのですからね。
ところが、第2幕になったら、なんと蝶々さんはジーンズにスウェットという服装に変身していました。スズキも、ドテラみたいのは着てますが、下はやはりジーンズですし、インテリアも大きな革張りのソファーがあるリビングになっています。これは別に突飛なことではなく、蝶々さんは「アメリカ人の妻」になったのだ、という、彼女自身の強い気持ちの表れになるわけです。こういう設定になれば、もうあとは普通のオペラとなんら変わらない表現が出来るのですから、ヴルガリドゥは伸び伸びと素晴らしい演技を披露してくれますよ。「ある晴れた日に」だって、こんなにすっきりと味わえたのは初めてです。
もう一つの演出家の企みは、蝶々さんの子供。普通は子役が登場するのでしょうが、ここではそれが人形に代わっています。そして、人形であることによって可能となった大詰めの演出、これはショッキングです。「蝶々夫人」というのは、蝶々さんのピンカートンに対する復讐劇だったのです。それは見事に成就されました。

BD Artwork © Arthaus Musik GmbH
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by jurassic_oyaji | 2014-08-02 21:20 | オペラ | Comments(0)