おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
広島
 きのうは、広島に原爆が投下された時から丸69年経ったという忌まわしい日でした。核分裂のエネルギーを殺戮の目的に使用するという人類の歴史の汚点については、いくら語り継いでも終わることはありません。そんな、いっそこの世からはなくしてしまった方がいいに決まっているものを、「平和に利用」するなどという愚かなことを考え出した人がいるものですから、原発事故が実際に起きてしまったら途方に暮れてしまっているのです。それはまあ未体験のことだったのでしょうから仕方がないとして、それが分かったのだったらもうそんなものは使うのをやめようとするのが「人類の叡智」というものなのではないでしょうか。替わりはいくらでもあるんですからね。「語り継ぐ」というのは、そういうことなのです。
 世が世なら、こういう時にはそんな愚かなことへの反省も込めて、「広島」の名を冠した感動的な「交響曲」あたりが演奏されていたのかもしれません。音楽には言葉を超えてそのようなメッセージを伝える力があるのでしょうからね。しかし、あいにくそのようなことは事実上不可能な状態になってしまったのは、ご存じのとおりです。
 その代わり、ということでもないのでしょうが、今年の同じ日には別の「広島」を聴いたらいいのでは、とSNSで呼び掛けている人たちがいるのだそうです。それは、ポーランドの作曲家ペンデレツキが作った「広島の犠牲者に捧げる哀歌」という作品です。52人で演奏する弦楽器群(ヴァイオリン24、ヴィオラ10、チェロ10、コントラバス8)は、決して耳には心地良くない音を奏し続けます。人によっては、これらが阿鼻叫喚の世界から生まれた叫び、うめき声とも聞こえるでしょう。弦楽器ならではの微分音の重なりや、畳み掛けるように迫る激しいノイズは、激しいインパクトを与えます。これこそは、まさにこの日に聴くべき音楽なのだ、と彼らは訴えます。
 ただ、「交響曲」の方の「広島」がきのう演奏されなかったのにはいくつかの理由がありますが、その中でも、この曲が最初に作られた時には、広島や原爆とは全く関係のないコンセプトによっていた、ということが分かってしまったことが、かなり大きな要因だったことは明らかです。「広島」が「後付け」であっては、演奏する意味はありません。
 実は、それと全く同じことが、ペンデレツキの作品にも当てはまるのです。作曲者は、この前衛的な作品にふさわしい、なんとも即物的な「8分37秒」というタイトルを用意していました。これは、単に楽譜通りに演奏した時の演奏時間です。ところが、これを実際に演奏したところ、なにか「手ごたえ」を感じてしまった作曲者は、もう少し分かりやすいタイトルにしようと考えます。そこに折よく、ポーランドのオーケストラが日本での演奏旅行でこの曲を演奏することを知り、それならばと、日本人作曲家の友人の意見なども取り入れてつけられたのが、今のタイトルなのです。その、いわば論理のすり替えによって、この曲は大ヒット、まさに「現代音楽」を代表する作品となってしまいました。つまり、これは「交響曲」と全く同じ「後付け」で、人気を獲得したのですよ。それを知っていれば、「この曲こそ、8月6日に聴くべきだ」などとは、誰も言えなくなってしまうと思うのですが、どうでしょう。
 そんな、見当はずれなやり方で大切な日を過ごすのではなく、日本人ならではのやり方で亡くなった方をしのぶシーズンが始まっています。その準備のために新しい竹の枝を用意しようと、竹やぶに行って大きな竹を切ってきました。その時に、いつも使っている電動チェーンソーのチェーンが、外れてしまいました。少し緩んでいたのですね。それを調整しようと思って、昔買った時の取説を探してみたら、こんな風にオーディオ製品の取説の間に入っていましたよ。世の中は、そんなミスマッチで成り立っているのですね。

[PR]
by jurassic_oyaji | 2014-08-07 21:16 | 禁断 | Comments(0)