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音楽史と音楽論
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柴田南雄著
岩波書店刊(岩波現代文庫
G310
ISBN978-4-00-600310-4



柴田南雄の「音楽史と音楽論」が、ついに「文庫化」されました。この事実は、そもそもは「教科書」として書かれたものが、一つの卓越した音楽書として、古典的な意味を持つようになったことを意味します。
それは、1980年に旺文社(という名前を見るだけで、すでに「教科書」あるいは「学参」の雰囲気が漂います)から放送大学の教科書として出版されました。その装丁はまさに「教科書」そのもの、絹目のエンボスが入った薄っぺらな表紙は、それこそ高校時代に使った山川出版の日本史の教科書そっくりです。

それ以後に本書がたどった道は知る由もありませんでしたが、今回の文庫のクレジットによれば、これはその放送大学のテキストとして講義に用いられ、年度ごとの改訂を繰り返し、1992年に閉講になるまで実地に使われたそうです。その頃には、出版元は放送大学教育振興会に変わっていました。テキストとしての用途が終わった後も増刷は繰り返され、この文庫本の底本となったものは2004年の第3刷なのだそうです。つまり、教科書としての使途がなくなった後にも、一般書籍として流通していたのですね。
そうなのですよ。これが発売された時には、放送大学を受講している人たち以外に「一般の」音楽愛好家が、こぞって購入していたのです。そんな最近までオリジナルが流通していたのも、そんな需要が継続的にあったためなのでしょう。そう、これはまさに「教科書にしておくには惜しい」ほどの、革新的な「音楽史」あるいは「音楽論」だったのです。この文庫ではもうなくなっていますが、旺文社の初版にはサブタイトルとして「日本の音楽に世界の音楽を投影する」という一文が加わっています。これこそが、本書の最もユニークなところ、それまでの「音楽史」の中心であった西洋クラシック音楽を、地理的にも、また時代的にもごく限られたものとした視点の広さには、だれしもが驚かされたものです。
柴田南雄という人は、生前はテレビやラジオでよく「解説者」として登場していましたから、その辺の「音楽評論家」なのではないか、と見られていた節もありますが、彼の本職は作曲家でした。それも、ひたすら自身の作曲技法を練り上げて推し進めるという、「ベートーヴェン型」ではなく、時代に合わせて柔軟に作風を変化させていく「ストラヴィンスキー型」あるいは「ペンデレツキ型」の作曲家だったようです。それは、もちろんこの世代の日本の作曲家であれば避けては通れない必然だったわけですが(一柳彗とか)、彼の場合はその振れ幅がけた外れに大きかったことが、注目されます。最初は型どおりにロマンティックな西洋音楽の模倣から始まったものが、当時の「最先端」であった「12音」、「セリー・アンテグラル」を徹底的に極めた後には、別の面で「最先端」であった「偶然性」に向かいます。そして、晩年にたどり着いたのが、日本古来の音素材を用いた「シアター・ピース」というわけです。その「シアター・ピース」も、後期の「修二會讃」あたりになると、忠実に東大寺のお水取りの様子を模写した、「音楽」というよりは「記録」に近いものになっています。これを「作曲」したのが1978年、この本には、そこまでの「作曲家」としての膨大な蓄積が確実に反映されています。
本書の最後には未来の音楽はどのようなものになるのか、という「予言」めいた言及もうかがえます。それは、文化までをも含めた歴史上の事象が、ある一定の法則に従って変化しているという学説が裏付けになっています。しかし、このような世界がそんな法則に忠実に従うわけもなく、その30年以上前の「予言」は、少なくとも作曲界に於いては実現する事はありませんでした。
そういえば、最近は「シアター・ピース」を手掛けるような作曲家など絶えてなくなってしあたーような気がするのは、単なる錯覚でしょうか。

Book Artwork © Iwanami Shoten, Publishers
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by jurassic_oyaji | 2014-08-18 21:02 | 書籍 | Comments(0)