おやぢの部屋2
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LASSUS/Passio secundum Matthaeum
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Nicholas Mulroy(Ev)
Greg Skidmore(Je)
Jeffrey Skidmore/
Ex Cathedra
SOMM/SOMMCD 0106




バッハの受難曲、たとえば「マタイ受難曲」などは、演奏時間が3時間近くもかかろうかという大作ですし編成も大がかり、内容も合唱あり、アリアあり、といったバラエティに富んでいて、まさにこの分野の「最高傑作」といった様相を呈しています。しかし、このようなスタイルの「オラトリオ(風)受難曲」は17世紀後半になってやっと現れたもので、例えば1666年に作られたハインリッヒ・シュッツの「マタイ受難曲」あたりは、もっとシンプルな形を取っていました。伴奏の楽器はなく、エヴァンゲリストやイエスなどのソリストに合唱が加わるというだけの編成、その合唱がポリフォニックに群衆の声などを演奏するほかは、まるでお経のように単調で抑揚の少ないソロが延々と続くというものです。このような受難曲は「応唱受難曲」と呼ばれ、その起源は15世紀までさかのぼることが出来るそうです。
シュッツもバッハもプロテスタントの教会のために受難曲を作ったので、その聖書の言葉はドイツ語で歌われていますが、もちろん「応唱受難曲」は最初はカトリック教会仕様のラテン語によるものでした。それを聴いてみたいと思っていたら、未聴CDの山の中にちょっと前に録音されたラッススの「マタイ受難曲」がありました。シュッツよりほぼ1世紀前、1575年に出版されたという、オルランド・ド・ラッススの「マタイ受難曲」です。
もちろん、ここでもソリストと合唱は最初から最後まで無伴奏で演奏しています。シュッツと違うのは、まずラテン語で歌われていること。ただ、もちろん元のストーリーは全く同じものですから、対訳をたどって行けば聴きなれたあのお話し、ミュージカルにまでなったキリストの受難の物語をきっちりと味わうことが出来ます。そして、もう一つ違うのは、その「物語」の中では、エヴァンゲリストの「地のセリフ」と、イエスの言葉以外の、全てのキャストの話していることが全部合唱になっていることです。これはかなりショッキング、それまでプレーン・チャントのように淡々とテノールの声が続いていた中で、「セリフ」の部分で突然ポリフォニーのカラフルな合唱が始まるのですからね。このコントラストこそが、「応唱」の醍醐味なのでしょう。
歌っているエクス・カテドラ(ラテン語ですから、そのように読むのでしょうね。「エクス・カシードラ」みたいに英語読みにするのは、おかしーどら?)というイギリスの団体は、こういうものにかけてはまさにお手の物、特に女声の伸びやかなトーンに支えられたポリフォニーは、極上の味わいです。ただ、たまに男声だけでこういう部分が歌われることがあるのですが、そこでちょっと耳触りな声が聴こえてくるのは残念、混声でバックにまわっているときは別にわからないのですが、裸でパートが出てくるともろ目立ってしまいます。
エヴァンゲリストのニコラス・ムルロイは、多くのCDでおなじみの人ですが、彼はこの単調な「語り」の中から、とても豊かな情感を引き出しています。おそらく、この曲が最初にミュンヘンの教会で演奏された時には、それこそ「お経」のように退屈なものだったのかもしれませんが、ここでは現代ならではの「熱い」語りを聴くことが出来ます。特に最後の「Eli, Eli, lama sabachthani?」のくだりでは、イエス役のグレッグ・スキッドモアとともに、ほとんど涙を誘うほどの熱演が繰り広げられています。
そして、最後には原曲にはないはずの「Ave verum corpus」が合唱で歌われています。
そのあと、さらにラッススの最晩年のモテットが2曲演奏されていますが、それまではかなりリアルに生々しく迫ってきたものが、なんともおとなしい音に変わってしまいました。クレジットを見ると、この2曲だけはだいぶ前の別のレーベルへの録音、エンジニアもアンソニー・ハウエルという、しっとり目の音の人、それに対して「マタイ」はサイモン・イードンですから、音が違って当たり前です。

CD Artwork © Somm Recordings
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by jurassic_oyaji | 2014-08-20 20:18 | 合唱 | Comments(0)