おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
GRIEG/Complete Symphonic Works ・ Vol.IV
c0039487_2012724.jpg


Herbert Schuch(Pf)
Eivind Aadland/
WDR Sinfonieorchester Köln
AUDITE/92.670(hybrid SACD)




グリーグの「Symphonic Works」は全5枚のシリーズを目指してリリースが続けられています。もちろん、完成の折には、史上初のSACDによるグリーグの「交響的作品」の全集となることでしょう。そこで、今回の4枚目となって初めて「交響曲」の登場です。とは言っても、グリーグの場合そんな「交響曲」はハ短調のこの作品1曲しか作っていません。というか、グリーグと言えばまず「ペール・ギュント」が思い浮かぶぐらいで、そもそも彼の作品の中に交響曲があったなんて、知っている人の方が珍しいのではないでしょうか。
グリーグは1858年、まだ15歳の時に才能を見いだされてライプツィヒ音楽院で学ぶことになります。3年半の留学を終えて1863年からは、コペンハーゲンでデンマークの作曲家ニルス・ウィルヘルム・ゲーゼの教えを受けます。余談ですが、この作曲家のファーストネームの「Niels」の日本語表記は「ニルス」でほぼ固まっているのに、同じような綴りの「Nielsen」が、いまだに「ニルセン」ではなく「ニールセン」と呼ばれ続けているのは不思議です。
その、グリーグが20歳になったばかりの1863年から1864年にかけて作られたのがこの「交響曲」です。まだ「習作」と言えるようなもので、全4楽章が完成して実際に演奏はされたのですが、グリーグ自身が「決して演奏されてはならない」という指示をつけてスコアを封印してしまったもので、もちろん出版もされませんでした。
それが日の目を見たのは、198012月のこと。ロシアの指揮者のヴィタリー・カタイエフが、自筆スコアが保存してあったベルゲンの公立図書館でその楽譜を「調査目的」でコピーし、それを演奏してしまったのですね。それは録音もされたそうです。これが契機となって、その直後には「本国」であるノルウェーでも演奏されるようになりました。このあたりの経緯は今回のライナーノーツで述べられていること、WIKIなどでは「1981年にベルゲンで甦演」という昔ながらの情報しか得られません。
さらに作曲されてから100年以上経った1984年に、PETERSから出版もされました。現在では、多くのレーベルからCDが何種類も発売されていますが、そのほとんどはノルウェーのオーケストラによる演奏で、いまだに珍しい作品であることに変わりはありません。
今回のSACDは、指揮者こそノルウェー人のオードランですが、オーケストラがドイツのケルン放送交響楽団、もちろん録音もとびきりの優秀なものですから、この「知られざる」作品に新たな光を当ててくれることでしょう。
初めて聴いたその交響曲は、まさにドイツ・ロマン派の語法のみによって作られたことがありありと分かるものでした。そこからは、まぎれもなくシューマンやメンデルスゾーン、そしてシューベルトあたりのエッセンスがストレートに感じられます。終楽章などは、シューベルトの最後のハ長調の交響曲(つまり「8番」)となんとよく似ていることでしょう。なにも知らずに聴いたら、これが「ペール・ギュント」を作った人のものだとは、まず分からないはずです。ただ、よくよく聴いてみると、そのフィナーレの再現部の少し前(03:27から04:30あたり)では、ほんのわずか、ドイツ・ロマン派ではあり得ないようなテイストの音階が登場しています。しかし、この程度のものでは、グリーグ自身も満足は出来なかったのでしょうね。これを「なかったことに」したかった気持ちは、よく分かります。
カップリングはそのほんの4年後に作られた「ピアノ協奏曲」。「交響曲」からたったそれだけの時間で、それとは全く趣の違う民族的なパーツがてんこ盛りになっている作品が出来上がっていることに、心底驚かずにはいられません。そんな「出世作」を、ルーマニア出身の若手、ヘルベルト・シュフはとても繊細に扱って、この上なく豊かな情感を届けてくれています。あ、この人は男性です(「主婦」ではありません)。

SACD Artwork © Westdeutscher Rundfunk
[PR]
by jurassic_oyaji | 2014-10-05 20:03 | オーケストラ | Comments(0)