おやぢの部屋2
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FAURÉ/Requiem
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Gerald Finley(Bar)
Tom Pickard(Tre)
Stephen Cleobury/
Choir of King's College, Cambridge
Orchestra of the Age of Enlightenment
CHOIR OF THE KING'S COLLEGE/KGS0005(hybrid SACD)




フォーレの「レクイエム」は、最初に作られた形から何度かの改訂を経て、現在では「7曲」から成る作品として広く演奏されています。こちらにまとめてあるように、初演された時には「5曲」しかなかったものが、1889年に2曲が追加されて、現行の7曲となったのですね。ただ、2曲目の「Offertoire」は、最初はバリトン・ソロだけで歌われる部分(Hostias~)しかありませんでした。現在のように、その前後に「O Domine」で始まる合唱部分が追加されたのは、1894年(1893年とも言われています)のことでした。
現在では、この1894年の段階での小さなオーケストラのバージョン(いわゆる「第2稿」)と、1900年にフル・オーケストラのために編曲されたいわゆる「第3稿」が出版されていて、コンサートやレコーディングではそれに基づいた演奏が行われています。
そんな中で、2011年というごく最近、ドイツのCARUS出版社から、まだ「Offertoire」に合唱の部分が入っていない段階である、1889年の時点での楽譜が出版されました。その「修復作業」を行ったのは、マルク・リゴディエールという人です。その「リゴディエール版」の世界初録音が2014年の1月に行われ、このSACDとなってリリースされたのです。
SACDのジャケットには、「完全な礼拝としての演奏」という言葉が書かれています。これは、その付け加えられた「O Domine」の部分で、フォーレがテキストを大幅にカットしているために、「礼拝」としては「完全」ではない、という意味なのでしょうね。まあ、現代の聴衆がどこまで「完全な礼拝」にこだわるかは疑問ですし、そもそも、現在の形がフォーレが最終的に自分の意志で(「第3稿」には、他人の意志が入っていますが)作ったものなのですから、こんなものをいまさら出してどうなるのだ、という気はしますが、マニアにとってはたまらないものには違いありません。
ところで、現在の「第2稿」は、校訂者の解釈によって「ラッター版」と「ネクトゥー/ドラージュ版」という全く内容の異なる2種類のものが存在しています。なぜそんなことになってしまったのかはよく分かりません。ただ、今回の「リゴディエール版」は、まだスコアが手元にないので確実なことは言えませんが、「ネクトゥー・ドラージュ版」と全く同じもののように聴こえます(もちろん、「O Domine」の部分はカットされています)。ということは、やはりこちらの方がより原典に近いものだ、ということが出来るのでしょうね。
ですから、このSACDでは、「おまけ」としてフル・バージョンの「Offertoire」も収録されているのですが、それが「ラッター版」だというのが、非常に不思議です。なにか、ジョン・ラッター本人からの「圧力」のようなものがらったー(あった)のでしょうかね。あるいは、「ラッター版」というのは、この1889年版と「第3稿」の間の過渡的なバージョンだという見解なのでしょうか。
そんな不可解な部分ははらみつつも、この演奏はとても魅力的なものでした。まず録音が、SACDでなければ聴けないようなとても柔らかな中にも精緻なところもあるという、素晴らしいものです。そして、合唱もトレブル・パートにいつになく安定感があって、まるで包み込まれるような至福の時間を過ごすことが出来ます。「Pie Jesu」のソロも、トレブルのメンバー(トム・ピッカードくん)が歌っています。やはり、このような形がフォーレの場合にはとても似つかわしく思えてしまいます。
問題の「Offertoire」は、やはりいきなり「Hostias」で始まるのは、かなりの違和感がありますね。音楽的には、やはり前後に合唱が入った方がしっくりくるのではないでしょうか。ここでは、アルトのパートは成人男声が歌っていますが、そのなんとも言えない音色とテナーとの絡みを聴いてしまうと、「礼拝」がどうのこうのという気分など全く起こりません。

SACD Artwork © The Choir of King's College, Cambridge
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by jurassic_oyaji | 2014-10-29 21:11 | 合唱 | Comments(0)