おやぢの部屋2
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BOLCOM/Songs of Innocence and of Experience

Soloists
Choirs
Leonard Slatkin/
University of Michigan School of Music
Symphony Orchestra
NAXOS/8.559216-18



ソリストだけで13人、それに児童合唱を含む5つの合唱団と、リズム・セクションを持つシンフォニー・オーケストラという、総勢450人にもなろうかという、まるでマーラーの「8番」のような巨大な編成の音楽です。この作品は、アメリカの作曲家ウィリアム・ボルコムが、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの詩集に曲を付けたというものなのですが、そもそもボルコムがこの詩を知ってそれを音楽にしようと思い立ったのが、彼が17歳の時、そして、全曲が完成して初演されたのがそれから30年近くたった1984年だったといいますから、その作曲のスパンは半端ではありません。まるであのヴァーグナーの大作「ニーベルンクの指環」に勝るとも劣らない壮大な創作意欲の継続の賜物と言うべきでしょう。しかも、演奏時間が2時間17分、それだけで聴き通す気力などなくなってしまいそうになります。
しかし、実際のところ、殆ど「折に触れて」といったスタンスで作られた曲の数々は、せいぜい2分から3分程度の長さのコンパクトな仕上がり、聴き始めてみるとそんな身構える必要など全くないことに、すぐ気づくはずです。この曲のタイトルは「無垢と経験の歌」と訳されていますが、実際には「無垢の歌」と「経験の歌」という2つの部分からなっています。そして、それぞれの部分がさらに3つの部分と6つの部分に分かれていて、実際は「無垢~」は、「経験~」の半分ほどの長さしかありません。そこで、それぞれ3つの部分を3枚のCDに分けた結果、おのおのが40分から50分という、聴き通すには手頃な長さになっていますし。
この作曲家の持ち味は、様々なジャンルの音楽を分け隔てなく作品の中に取り込むという貪欲な姿勢です。したがって、この曲でも、最初にネイティブ・アメリカンの伝承歌のようなもので始まったかと思うと、その次に来るのは他人を排斥するような無調の音楽、そして、なんの脈絡もなくカントリー・アンド・ウェスタンが流れるといった節操のなさ。しかし、それも、これだけ開き直られると、有無をいわせぬ力となって迫ってきます。例えば武満徹のように、思い切りシリアスな「現代音楽」から、「死んだ男の残したものは」のようなフォークソング、さらには「燃える秋」などの最初からヒットチャート入りを目指した曲まで書き分けることが出来たような才能が、この人にも備わっていたのでしょう。ただ、ボルコムのユニークなところは、その全ての要素を一つの作品の中に盛り込んだところ。その結果、一見ごった煮のようなこの大作を虚心に聴くことによって、私たちは一人のアメリカ人が自己の中に持っている音楽の様々な側面を、一望の下に知ることとなるのです。彼の場合、最も根底にあるのはカントリーっぽいテイストではなかったのか、などと、勝手に想像できてしましまいます。そんな彼が、一番最後の曲「A Divine Image」では、初演当時に隆盛を極めたレゲエを導入したあたりが、この作曲家の好奇心のスゲエところなのでしょう。ですから、おそらく作曲時にはシェーンベルクの「シュプレッヒ・ゲザンク」を念頭に置いて作ったことは明らかな、メロディを持たない「語り」でまとめられたいくつかの曲も、もし彼が現在もう1度同じアイディアで作ろうとした時には、そこには間違いなく「ラップ」の要素が入ってくることでしょう。
オーケストラは、学生が主体なのでしょうが、この曲に欠かせない無意味に困難なパッセージを楽々と演奏しているのには感心させられます。合唱にも、大人数の割には、大味にならない緻密さがあります。ただ、問題なのがリズムセクション。「○○ポップス」によくあるゆるいビート、特に前のめり気味のベースが妙に「クラシック風」で、カントリーやロックの味が薄まってしまっています。
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by jurassic_oyaji | 2005-07-17 19:10 | 現代音楽 | Comments(1)
Commented by うしがえる at 2006-05-23 17:59 x
今日は。
TB有り難う御座いました。
こちらからも、TBさせていただきました。