おやぢの部屋2
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ORFF/Carmina Burana
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Yeree Suh(Sop), Yves Saelens(Ten)
Thomas Bauer(Bar)
Jos van Immerseel/
Collegium Vocale Gent, Cantate Domino
Anima Eterna Brugge
ZIG-ZAG/ZZT353




一部では熱狂的な支持者がいるかと思えば、やっていることになにか一貫性がなく、肝心の音楽が死んでいるとまで酷評されることもあるという不思議な指揮者インマゼールが、今度はオルフの「カルミナ・ブラーナ」に挑戦してくれました。基本的に彼がやってきたのは「ピリオド楽器」による演奏ですが、これなんかは、ほんの少し前までは「現代音楽」と言われていた(本当ですよ)20世紀の作品ですし、なにしろ作曲家自身が演奏に立ち会った録音などというものさえ残っているぐらいですから、彼のようなフィールドの人のアプローチそのものが何の意味もないように感じてしまいますが、どうなのでしょうね。ただ、やはり彼の場合は、例えば生前のオルフと非常に親しかった人とディスカッションをすることによって、より作曲家の意図をくみ取るといったような「研究」には余念はなく、その結果たどり着いた「信念」のようなものが、この演奏には反映されているのでしょう。もうすぐですね(それは「新年」)。
まず、オーケストラと合唱の編成を見てみると、かなり弦楽器の人数が少ないことに気づきます。しかも6.6.6.6.4というちょっと変なバランスです。これは当時の、というか、それがほとんどそのまま継承されている今のシンフォニー・オーケストラの編成から考えたら、低弦に比べてヴァイオリンがあまりに少ないのですね。そして、そこに3管編成の大人数の管楽器と、おびただしい数の打楽器、さらには2台のピアノまで加わりますから、トゥッティになるとヴァイオリンはまず聴こえては来ません。まあ、それがオルフの真意だというのですから、そういうものなのでしょう。確かに、弦楽器だけのパートが出てくるところでは、まるで男声合唱のように低音が強調されたサウンドが作られていて、まさに「バイエルン風」の男臭さが醸し出されているような気はします。
でも、逆に最後の弦楽器の聴かせどころ、終わりから2番目の「Ave formosissima」で合唱の合いの手として思いっきりハイテンションを演出してほしいフレーズが、とても軟弱に聴こえてしまうのはちょっと興ざめ。これだと、さっきの「男臭さ」とは対極の、まるで「オカマの喘ぎ声」ですからね。
合唱では、なんとあのヘレヴェッヘの手兵「コレギウム・ヴォカーレ」が参加しています。しかし、ここで歌っているメンバーは「たった」36人しかいません。さらに、ステージ上にはそれぞれ18人ずつの「Coro I」と「Coro II」が、オーケストラを挟んで下手と上手に別れて配置されています。確かに、この曲では最後の方の「Veni, veni,venias」のように、2つの合唱が掛け合いになるところがあります(Coro IIの合いの手が「ホイサッサ!」と聴こえます)し、「Coro piccolo」という「小さめの合唱」で歌われる個所が数多くありますから、これはなかなかのアイディアではないでしょうか。ただ、やはりいくら弦楽器が少ないからと言っても、管楽器がフルで吠えまくっている時には、合唱は全然聴こえなくなってしまいます。
面白い発見もありました。唯一のテノール・ソロのナンバー「Olim lacus colueram」のイントロのファゴットがとんでもなく「ヘタ」なのですよ。これも、インマゼールの「信念」に従えば、「うまく吹いてはいけない」ところなのです。これはとても納得できます。こんなに「白鳥の悲哀」が見事に表現された演奏なんて、初めて聴きました。
そんなにしっかり伏線を張っているのに、ここでのテノール・ソロはあまりにもまじめ過ぎ、でも、バリトンとソプラノは素晴らしい演奏でした。特に、バリトンのトーマス・バウアーは、ステージの上を所狭しと歩きまわって細かい「芸」を披露しているのが、音だけからも伝わってきます。
とは言っても、全体を聴き終えた時には、「これは『カルミナ』ではない」と思わずにはいられませんでした。もっと常軌を逸したエネルギー感がないことには、真の「カルミナ」にはなりえません。

CD Artwork © Outhere Music France
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by jurassic_oyaji | 2014-12-02 20:58 | 合唱 | Comments(0)